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北京週報>>中国と日本  
木寺昌人大使単独インタビュー「外交に魔法や奇跡はない」

 木寺大使:影響は大きい。どの分野にも影響があるが、多少回復した分野もあります。私はいつも言うのですが、日中両国はたとえ政治面で困難があっても、経済、文化、人的交流を積極的に推し進めなければなりません。そうしてこそ日中両国の経済と国民にとってプラスとなります。

 記者:ここ1年、日本を訪れる中国人観光客が減り続けていることを、どう受け止めていらっしゃいますか?

 木寺大使:昨年9月以降、日本を訪れる中国人観光客が減ったことはとても残念です。中国人観光客は日本にとって大変大切ですし、日本人観光客も中国にとって大切です。現在の日本の観光庁長官は私の古くからの友人で、彼も現在の状況の改善をとても望んでいます。

 ■北京での生活「中国の生活光景を観察するのが好き」

 記者:ご家庭のことについて少しお話しいただけますか?

 木寺大使:娘が一人います。私たちと一緒に北京へは来ず、まだ東京で大学に通っています。就任から間もない正月に北京へ来たので、家族で故宮、円明園、天壇公園を見に行きました。初めて中国に来た娘に、北京は深い印象を残しました。

 妻は1984年に中華全国青年連合会の招待で中国を訪問し、中国に対してずっと特別関心を持ってきました。今回妻は私と共に北京へ来ました。私の仕事をとても支持してくれています。

 記者:お祖父様はかつて大連で働いたことがあり、お母様も大連でお生まれになったそうですが、中国に関する話をお二人からお聞きになったことはありますか?

 木寺大使:私の母方の祖父と母は1941年に大連から日本に戻ってきました。祖父は私が生まれる前にすでに亡くなっていました。私は母から大連に関することをたくさん聞きました。当時の事を話す時、母は時に目に涙を浮かべます。大連にたくさんの思い出があるのです。もし機会があれば、私も大連に行って見てみたいと思います。

 記者:大使はゴルフがお好きと存じ上げています。ご自身の性格をどう評価されますか?

 木寺大使:よくご存じで、ありがとうございます。自分の性格を評価するのは難しいのですが、様々な人と会って交流するのが好きです。友人からは和やかで落ち着いているとしばしば言われます。ゴルフ以外に、仕事以外の時間は妻と一緒に大使館の周りを散歩するのが好きです。中国の友人たちの生活光景を仔細に観察したい。これは私の仕事にとってとても必要なことです。

 ■木寺大使の経歴

 1952年に東京で生まれる。東京大学法学部を卒業し、1976年に外務省に入省。アフリカ審議官、国際協力局長などを経て、2012年9月に内閣官房副長官補に就任。2012年10月、日本政府は西宮伸一氏の後任として木寺氏を駐中国大使に任命した。(編集NA)

 「人民網日本語版」2013年4月14日



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