日本の安倍首相は訪米中にワシントンのシンクタンクで講演した際、「日本は二流国家には永遠にならない」「強大な日本が戻ってきた」と表明した。
安倍氏のビジョンと日本の戦後の宿願「普通の国」は同じ流れを汲んでいる。歴史は鏡だ。明治維新によって日本は強国への道を歩み出した。だが強大になった日本は急速に侵略の道を歩み、アジアの国々と人々に甚大な損害をもたらした。侵略の歴史を徹底的に清算していないため、日本政治の右傾化の根は取り除かれていない。政治屋が度々侵略の歴史を美化する「失言」を行い、公然と靖国神社を参拝することや、憲法改正、集団的自衛権の行使といった「長期目標」の推進から、戦後国際秩序の束縛から急いで脱しようとする日本の企ては明々白々だ。
日本経済は低迷が続き、政界の人物は国家の前進の方向について理性的な設計を欠いている。こうした背景の下、国際社会は日本が「戻ってきた」後に一体何をするのかに警戒を維持している。早くも2006年に、シーファー駐日米大使(当時)は「靖国神社の歴史ロジックによると、日本の中国侵略と真珠湾奇襲は完全に『やむを得ぬ』ものであり、欧米植民地主義者の手から『アジアを解放』するためのものだった。そして戦犯は東条英機ではなく、ルーズベルトらしい!こうした歴史を曲解する見解には大変不安にさせられる」と指摘した。同年、米民主党の古参議員、ラントス氏は「日本は歴史健忘症を患っている。靖国神社参拝はドイツのナチスの親玉の墓前に献花するに等しい。歴史を否認する者は必ず歴史を繰り返す。こうした行為は止めなければならない」とさらに鋭く指摘した。
日本は「普通の国」になることを妨げているのが他国では決してなく、日本自身であることを、ずっとはっきりと理解できずにいるようだ。「普通の国」になること、「強大な日本」をアジア諸国がもう怖れなくなることを望むのなら、日本は自らが平和的発展の道を歩んでおり、域内諸国との「共同成長」を望んでいることを、アジア諸国が信じられるようにしなければならない。
国際関係には道義の準則が自ずとある。公然と侵略の歴史を美化し、世界反ファシズム戦争の勝利の成果を否定し、戦後国際秩序に挑戦する国が、国際関係のシステムに融け込むことは不可能だ。このような国は「一流国家」が備えているべき品性からかけ離れている。
不名誉な歴史を徹底的に反省するのは、当然容易なことではない。だが、贖罪を果たさなければ外の世界と真の和解を実現することはできず、「普通の国」の列に戻ることも不可能だ。平和的発展の道を真に歩んでのみ、アジア諸国に受け入れられ、歓迎されることが可能になる。さもなくば「強大な日本が戻ってきた」と大きく叫べば叫ぶほど、日本は「一流国家」から遠ざかっていくだろう。(編集NA)
「人民網日本語版」2013年2月26日 |