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北京週報>>中国と日本  
検証・釣魚島領有権問題に関する中日間の「棚上げ合意」

はじめに

一、中日国交正常化交渉の際、「棚上げ方式」に合意

二、「中日平和友好条約」交渉の際、「棚上げ方式」再確認

三、釣魚島周辺における石油資源の中日共同開発の動き

四、結論

はじめに

今年は、中日国交正常化40周年の節目にあたる。中日関係は「四十不惑」(四十にして惑はず)を迎えた。過ぎ去りし歳月に思いを馳せ、今日の中日関係は、激変後の世界政治の枠組みを舞台とし、経済のグローバル化が産み落とした国際関係の新たな形態を背景として、経済面を中心に政治、文化、人的往来などの分野において大地を覆すような巨大な変化を遂げた。この40年間、中日関係は多くの試練にさらされながらも、持ちつ持たれつの関係が構築された。(文:倪 志敏・龍谷大学民際学研究センター研究員、社会科学研究所客員研究員)

他方、色濃く時代の特徴を反映し、中国の急速な崛起(平和的勃興)によって、国際政治の基軸を構成する大国間の力関係と世界システムの両面に大きなパラダイム・シフトが起りつつある中で、中日両国間の相互信頼と民衆間の親近感は薄れ続け、中日両国は拮抗時代に突入しつつある。更に近年釣魚島(日本名・尖閣諸島)領有権問題をめぐる菅直人、野田佳彦両政権の一連の能動的な行動により、これまでの両国間の政治均衡が破られ、中日関係は根底から覆される局面に瀕した。

釣魚島は明代から中国の領土である。この厳然たる事実は、日本の著名な学者である井上清氏と村田忠禧氏による綿密な考察の結果でもある。釣魚島領有権問題は、中日間に横たわる歴史問題の一つである。しかしながら、1972年の中日国交正常化と1978年の中日平和友好条約締結の際、両国の指導者は、中日平和友好という大局に鑑み、大所高所に立って釣魚島領有権問題を棚上げにする道を選んだ。この「紳士協定」が、その後の約40年間の平和を保った。

ところで、2010年の漁船衝突事件を契機に、日本側は「日中間には領土紛争は存在しない」と高らかに宣言した。10月21日、前原誠司外相(当時)は国会における答弁で、トウ小平氏が1978年10月に表明した釣魚島領有権問題に関する「棚上げ論」について、「トウ氏が一方的に言った言葉であり、日本側が合意したことではない」と言い切った。10月26日、菅直人政権は、「尖閣諸島領有権に関する棚上げ合意、約束は存在しない」との答弁書を閣議決定した。更に、今年の9月12日、野田政権は、これらを根拠に釣魚島の国有化を断行し、中日対抗の「燎原の火」を点けた。釣魚島問題を巡り、中日両国の対立は政府レベルから民間レベルへと浸透し、中日間の緊張関係は、まさに極限まで進んだ。

では、中日国交正常化と中日平和友好条約の交渉過程で、釣魚島領有権問題は、如何に話し合われたのか。果たして中日間には釣魚島領有権に関する「棚上げ合意」があったのか、それともなかったのか。本稿は、日本の国会答弁、外交文書及び当事者の回想録等の史的資料を掘り起こして検証し、歴史の真実を明らかにする。

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