中国財政部(財政省)財政科学研究所の白景明・副所長は同部公式サイトで署名文書を発表し、2012年度末の財政支出規模は大きいが、予算管理規定に反した年度末「駆け込み」支出ではない、と示した。同時に、年度末の駆け込み支出は中国に限った現象でなく、日本の2011-2012会計年度予算最終月の支出をみても、年間支出の14%を占めている、と指摘した。ニュースサイト「中国網(チャイナネット)」が伝えた。
白副所長の発言は、年度末駆け込み支出は国際慣例として国際的に通用する手法であることを意味している。確かに、国外にも年度最終月の支出がほかの月を上回る現象が存在し、表面的にはもっともらしく聞こえる。しかし両者は同じ性質のものなのだろうか?
この発言が、「年度末駆け込み支出」を正当化する口実であることは明らかだ。なぜなら、日本などの「年度末駆け込み支出」は、中国とはまったく異なるからだ。少なくとも、性質的に異なる。その違いは、日本などでは、予算は完全に公に透明化されたもので、支出項目、支出額、支出進度などはすべて公開され、社会の監督を受ける。また国民から疑問が投げかけられれば、関係当局は合理的に説明する責任があり、説明が不明瞭であれば監査機関の質疑・問責を受けることになる。
一方、中国の関係当局は支出項目、支出額、支出進度などを完全に公開できるのか?各支出について十分に客観的で正確かつ明瞭な説明を行えるのか?国民の質疑と推敲に耐えることが可能なのか?
これは違いであり、国民の不信頼、不安の中心である。「12月度財政支出規模は確かにやや大きいが、基本的に予算編成を経て、政策および実際の需要に基づき支出が行われ、その大部分は一般市民の生活にかかわる教育、医療衛生、社会保障、就業などに充てられている」と白副所長は説明する。しかしこのような説明はあいまいで、明らかに説得力に欠ける。これらの支出の大部分が民生関連というなら、すべての支出項目を公開し、国民の審判を受けることができるはずだ。もし規範的でない、不正な支出が存在しないのであれば、「年度末駆け込み支出」の観点は自然と成立しなくなる。
問題は、いわゆる合理・合法的とは、公にすることが難しく、質疑や問責される部分を多く含むことにある。政府職能部門の一貫した方法に基づき、公開できるなら、とっくに公開している。やましい部分があるから公にできないのだ。公にできないから、国民の間から「年度末駆け込み支出」の発想が浮かんでくる。
もし日本と本当に同じであれば、「年度末駆け込み支出」の発生は、支出の不均衡に関する単なる技術的問題ということになり、難解な問題ではなくなる。公開すれば、真相は明らかになるのだ。しかし問題は、それが技術的問題ではなく、関連当局および予算執行当局による財政資金の立案・編成・支出において複雑なテクニックや芸術が用いられ、明るみに出せないものが数多く隠されていることにある。これが問題を難解にしている。説明しなければ、国民は疑問を抱く。説明しても、明確な回答ができない。的を得ない、あいまいな回答では、国民は余計納得がいかない。
よって「年度末駆け込み支出」をめぐる問題については、予算改革、予算の透明度・公開水準の向上により解決するべきで、日本を例に取るべきでない。日本の「年度末駆け込み支出」は、性質的に完全に異なる。(編集HT)
「人民網日本語版」2013年1月4日 |