◇写作の「海」に自分の人生を重ねる◇
C・Yさん(女性)は、3年生の「写作」の授業で書いた題の「海」が、卒業後も頭に残っていた。
《当時、何を書いたのか今は忘れてしまったが、その後、仕事などで日本の海や香港で海を見て、いろいろな悩みが心の中に出てきた》
彼女の当時の作文「海」は私の手元に残っていなかったが、多くの人が「これまで海を見たことがない。」と書いていた。本や映画で見た海から「海は広いが、人の心は海よりも深くて広いと言われる。実際の海を見たらどのように感じるのだろうか。」と想像した内容が多かった。
中国の学生の中で、海を見たことのない人がいることを、私はこのとき初めて知って驚いた。C・Yさんは大学を卒業後、江蘇省内の市政府職員となったが、仕事の中で不公平なことが多くあることを体験した。
《熱心な先輩から助けてもらって温かさを感じたが、人事闘争の中で頭が痛くなることもあった。こういう安定した仕事と生活で、衣食の心配はなかったが、何か満足することができなかった。》
幼馴染と結婚した後、夫と一緒にアメリカに渡った。夫は博士過程で、CYさんは英語を復習して夫婦での米国留学生活が始まった。海までは車で2時間のところにあった。
《小さくて寂しい町で、貧乏な留学生夫婦だったが、2人で海を見るのが私たちの楽しみだった。》《博士過程を卒業して夫は、インテル会社のエンジニアとして米国の西部へ。私はボストンにある大学のビジネス科院生になった。夫と離れてボストンでの一人暮らしは寂しかったが、キャンパスから海まで徒歩10分ほどで行けたのは楽しかった。》
彼女は2年間の院生を終え、今は夫のいるアリゾナ州のフェニックスにいる。
《冬は暖かいが、夏には40度以上の気温となり、サワロというサボテンは2、3階建ての建物の高さまで成長する。砂漠性の気候は初めての体験で、海からは遠くなったが、壮大な海、静かな海、怒りの海、いろいろな海の姿が心の中に出てきた。人生もそういう豊かで奇妙なものなのだろう。》
10年ほど前の学生時代に書いた作文の題「海」が、自分の人生に重ね合っているようにも思えたのだろう。
米国フェニックスにいる卒業生が、メールで送ってくれた大きなサボテンのある風景
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