日本でこのほど実施された衆議院選挙は、政権を3年間握った民主党に対して国民が行う「期末試験」となった。民主党は合格ラインに達しなかっただけでなく、点数も非常に低い。原発、消費税、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)などの国内政策における揺らぎが国民の反感を買ったほか、外交での姿勢も政権を奪われた大きな原因となった。
対中政策で、日本はこれまで2つの選択をしてきた。1つは「力で対抗する」、もう1つは「向き合う」という方法である。野田佳彦氏などの民主党官僚は下がり続ける支持率を回復させるため、目先のことだけを考えて中国と「対抗する」という選択をし、国交正常化40周年のときに両国関係を悪化させた。結果、「対抗」という方法をとる政党が有権者から支持を得ることはできなかった。
率直に言えば、近く誕生する自民党政権に対し、中国に懸念もある。自民党内の一部のタカ派政治家が選挙期間中に発した「強硬」的な発言に中国は警戒しないわけにいかない。当然、西側の政治学で、「選挙公約」と「執政後の行動」が異なることはよくある。実際、自民党政権は小泉内閣のときに中国と「対抗」する悲惨な時期を経験しただけでなく、野党になった後も民主党政権と中国の「対抗」を目にしてきた。安倍晋三総裁は首相再登板後にこれを教訓にできるだろうか。\
注意したい点は、2013年は「中日平和友好条約」締結35周年に当たることだ。安倍晋三氏の父親、安倍晋太郎氏は当時、福田赳夫内閣の官房長官を務め、中日間の4つの政治文書のひとつである「中日平和友好条約」の締結に心血を注いだ。その後の中曽根康弘内閣の外務大臣を務めていたときには、対中国政府開発援助(ODA)を積極的に推し進め、改革・開放を主導した鄧小平氏に敬意を示した。一般的に、日本の政治家は「親の意志を継ぐ」傾向にあるため、安倍晋三氏は再登板後に「政権不孝」にはならないと見られる。
安倍氏は2006年9月に小泉純一郎氏に代わって首相に就任した後、関係を促進するため、その月のうちに訪中し、任期中に靖国神社を参拝しないことで中国側の官僚と合意し、中日関係を「戦略的互恵関係」にし、悪化した中日関係を改善させた。また安倍氏は先日、『文芸春秋』に対して、政権獲得後に中日の戦略的互恵関係を再構築する考えを示した。政治家にとって信用は最も重要であり、安倍氏は政権奪回後に信用を維持できると信じている。
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