日本右翼の代表的人物である石原慎太郎は昨日、新党「太陽の党」を結成した。民主、自民両党に続く「第三極」の形成を望んでおり、得意満面の様子だ。太陽の党の根源は明らかに極右であり、居ながらにして強大化するのは決して容易ではない。だが日本社会が混迷し、二大政党が共に低迷する中、極右集団が「鍵となる少数」を掌握して勢力を拡大し、政界をかき乱す機会も決してなくはない。(環球時報社説)
ある韓国メディアは「8回議員に当選し、2回閣僚を務め、4期連続で東京都知事を務めた石原は、毎年交代する首相よりも、日本を代表する人物だ」と指摘した。この指摘も理屈が通らなくはない。だが石原がこのような影響力を獲得するのは、日本にとって悲哀である。
石原はすでに80歳、太陽の党の国会議員の基本メンバー5人は平均72歳だ。石原の政治的立場は徹頭徹尾、右翼民族主義であり、その対外姿勢は常に日本の歴史上の不幸や挫折と関連している。学識はあるが、いつまでも立腹し続けている老人である。周囲の世界は変化しているのに、彼は終始自分の感動と悲壮の中に生きているのだ。
順調に発展していた時代の日本人は様々なチャンスに刺激され、鼓舞された。だが挫折続きの今、時間が空しく過ぎ去ったという感傷がわき起こり、石原に機会が訪れた。米国にノーと言い、中国にはなおさらにノーと言うこの極端な政治屋は、老いるにつれて大胆になっている。今年の日本はもうすぐ「石原の年」だったと言われるようになるだろう。石原はまず東京都の釣魚島(日本名・尖閣諸島)購入によって中日間に国交正常化以来最大の衝突を引き起こした。今また新党を結成して、日本政治を長期間右翼の方向へ動かそうと企んでいる。
東洋哲学では年を取ることは通常、温厚さや善良さと結びつけられる。だが石原は日本社会の強硬さと過激さの本丸に鎮座し、日本右翼、過激な愛国青年達にとって最古参の模範となっている。石原は大和民族の様々なあきらめのつかぬ思いを存分に引き出し、それら全てを海をはさんだ各国への警戒、恐れ、さらには恨みに変えている。
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