日本のプロ棋士9段に初めて勝利した中国棋士の陳祖徳氏は当時、中国で一躍英雄となり、中国社会に空前の「囲碁」ブームを巻き起こした。当時、陳氏は19歳だった。「中国青年報」が伝えた。
1960年代、囲碁はまだ中日民間交流の「政治的役割」を担っていた。すでにプロ棋士だった陳氏は上海から北京に来て集中訓練合宿に参加しており、訪日中国代表団の中で最も若い団員だった。初めて日本に赴いた時、18歳だった陳氏は緊張のあまり、日本メディアに「入学試験を受ける学生」のようだと形容された。
しかし、見かけは柔弱な文学青年風の若者は、北京に来て1年後、北海公園で行われた中日囲碁交流戦で、「棋仙」とうたわれた日本の杉内雅男9段を打ち負かした。まるで豆をばらまいたような布石を打つ日本のベテラン棋士に対し、陳氏は3子(もく)を犠牲にし、さらに6子を捨て、ようやく局面を打開した。9時間にわたる激しい戦いの末、ついに最終的に半子差で勝利した。
当時、「人民日報」は「中日囲碁棋士、北京で交流戦を2度行う」と題した平凡な記事を掲載しただけだったが、中国棋士が日本棋士9段を破ったとするニュースが北京から全国へ広まると、このメガネをかけた19歳の青年は一躍、中国人民解放軍の模範兵士とされた「雷鋒」(1940年-1962年)や「鉄人」と呼ばれた模範的石油労働者「王進喜」(1923年-1970年)と並ぶ中国の英雄となり、空前の「囲碁」ブームを巻き起こした。
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