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「南支派遣軍」に詳細に目を通す佐藤正人さん(中央) |
「非常に貴重な資料。日本の海南島侵略の歴史が記録されている」。「海南島近現代史研究会」創設者・佐藤正人さん(70)は30日、海口市博物館で同館が所蔵する「南支派遣軍」、さらにその他の旧日本軍による海南島侵略時期の史料・文化財に詳細に目を通した。
「朝鮮史研究会」の学者・佐藤正人さんはこれまで、旧日本軍による中国・海南島侵略の歴史を調査するため、同島を22回訪れている。
佐藤さんは1990年代、日本のNGO「紀州鉱山の真実を明らかにする会」に参加し、旧日本軍による海南島での鉄鉱略奪の歴史を知った。真相を追うため1998年6月、同NGO会員で歴史家の金靜美(キム・チョンミ)さんと初めて海南島を訪れた。
「1998年に初めて海南島・田独鎮を訪れた。田独鎮鉄鉱山については、数万人規模の鉱山の歴史を知った。それまでは、旧日本軍による海南島侵略の歴史については理解していなかった」。佐藤さんは、「一連の手がかりを発見した後、帰国後に調査を行うと、不明な点が次々と明らかになり、海南島に通うようになった」と語る。
佐藤さんは2007年、「海南島近現代史研究会」を設立した。同研究会は、海南島が日本に占領された時期(1939年2月-1945年8月)の侵略犯罪の史実を研究の重点としている。
佐藤さんは十数年間にわたり、同志とともに三亜田独万人坑、石碌万人坑、「朝鮮村」、羊角嶺水晶鉱山、旧日本軍・海南島侵略三亜航空基地司令部、慰安所など、旧日本軍の海南島侵略遺跡を実地調査し、地元の郷・村に在住の高齢となった生存者の聞き取り調査を行った。海南島調査では毎回、2週間から1カ月滞在している。「トラクターやオートバイ、三輪車で調査のため農村を巡った」
「海南島は東南アジア侵略のため、太平洋の軍事基地として、旧日本軍・日本企業は島に空港、港湾、鉄道を建設し、鉱山、電力を開発、資源を略奪した。民衆の反抗を制圧するため、旧日本軍は『Y』作戦』を繰り返し、村落を焼き払い、現地住民を惨殺した」
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