野田内閣と日本政府が「明日への責任」を真に担うには、日本の「明日」と周辺国、地域、さらには世界の「明日」が結びついているということをはっきりと理解しなければならない。この「明日」が指すものは平和・安定・発展であるはずだ。この「責任」が指すものは平和・安定・発展を守り、促し、国家と地域の平和・安定・発展にプラスの環境と条件を創出することであるはずだ。
中国は中国の前途・命運が世界の前途・命運と日に日に緊密に結びついていることを、すでに深く認識している。同様に地域の大国、世界第3の経済大国である日本の前途・命運もこの地域の前途・命運と緊密に結びついている。この点については正の例が数多くあると同時に、日本による釣魚島紛争の挑発とそれによる中日関係への打撃、日本経済への波及など負の例も少なからずある。
日本が「明日への責任」を担うには、侵略の歴史の責任を回避することはできない。地域のトラブルメーカーになるのではなく、「歴史を鑑として未来に向かう」を真に果たすべきだ。これは中日関係処理の基本原則であり、日本が自らの歴史的位置づけと地政学的戦略の位置づけを受け止め、処理するうえでの基本的原則ともするのが当然だ。
もし日本軍国主義の亡霊に死んでもしがみついて放さず、日本の過激右翼勢力を放置し、さらには迎合し、安全保障上の外来の脅威をほしいままに誇張し、かつそれを根拠に平和憲法の制約を取り払い続け、一個人、一党の私利のために地域に摩擦をつくりだし、国際紛争を引き起こすのなら、そのような日本に「明日への責任」を大言壮語する資格があるだろうか?「明日」にしてみれば、日本に欠けているのは「昨日」に対する正しい省察、および「明日への責任」に対する戦略の見込みである。(編集NA)
「人民網日本語版」2012年10月31日 |