▽友好団体、かつては中日交流の主柱
中国と日本が1972年に国交正常化を実現する以前、両国間の経済交流、文化交流はほとんど、日中友好協会が推進した。これらの対中友好団体は、両国交流の主柱であったと言える。新中国成立からわずか10日後、日本の有識者達は、日中友好協会が準備した会議に招かれた。1950年1月、日中友好協会は正式に設立され、日本の22都道府県の代表、および日本の各政党、労組、学術界、文芸界、経済界の各代表が設立大会に出席した。
各組織の会長は皆、日本の国会議員であり、多くが外相、参院議長などの経歴を持つ。よって民主党政権実現前まで、これらの日中友好団体は日本政府の対中政策に非常に大きな影響力を有していた。2005年、当時の小泉純一郎・首相が靖国神社を参拝し、日中関係が氷点下にまで冷え切ったにもかかわらず、両国間には依然、「政冷経熱」の関係が維持された。これは、当時の与党が、日中友好7団体の会長らとのパイプを持つ自民党だったことと関係がある。さらに、これらの対中友好団体の幹部の多くは中国政府高官と携帯電話で直接連絡を取り合うほど、良好な関係にあった。このため、いったん日中関係が危機に直面しても真っ先に緊密な意思疎通を図り、相互理解を深められた。
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