「ポピュリズムの種」、アジア蔑視の「民族的優越感」、「制度優越論」は戦後の「米国による占領」と「民主化改革」によっても根絶されなかった。冷戦終結からすでに20年余り経つが、日本は明確な戦略的立ち位置を終始見出せずにいる。1990年代初め、日本は「アジア回帰」を外交戦略の重心の1つとした。だがアジアを主導する意識から抜け出せないため、「地域政治への感化力」の獲得は難しく、東アジアの「普通の国」としての位置づけは終始賛同を得られずにきた。中国の急速な経済成長、総合国力と地域への影響力の急速な高まりによって、中日関係は構造的な転換を迎えた。日本は「追い抜かれる」危機感を真に覚え、右傾・保守の思想傾向を一段と強めた。日本の「防衛白書」は中国の軍事的脅威をいわれなく指摘し、防衛大綱は戦略目標を中国に定めている。日本は「日米防衛協力のための指針」の見直しさえ企て、中国を「周辺事態」の新たな脅威に組み入れようとしている。
政治情勢に問題が生じれば、その国の外交政策は容易に対抗的なものになり、さらには地域情勢に緊張をもたらす。釣魚島問題における日本の悪辣な行為はこれを十分に証明した。時代の潮流に逆行する日本の行為は自縄自縛に他ならず、最終的には新たな「鎖国の苦境」に陥るのである。(編集NA)
「人民網日本語版」2012年9月25日 |