石田さんが話をする間に、傍らにいたメンバーの加藤修弘さんは「石田教授は、同じく歴史学者のご主人が今病床についている。本来はご主人を看病するべきなのだが、今回もやはり山西にやって来た」と思わず口を挟んだ。
石田さんは、「最初の目的は、被害に遭った彼女たちが、当時どんな経験をしたか、その後の生活はどのように変化したかについて知りたいだけだった。しかし、初めて山西を訪れ、彼女らの生活の実態を目の当たりにした時、私はもう後へは引けないと感じた」と話し、老眼鏡を直した。
▽山西省の慰安婦を扱った初の刊行物を日本で出版
「山西省明らかにする会」は、石田さんが中心となって1996年に創設された。メンバーは、メディア関係者、弁護士、会社員、専業主婦など一般市民200-300人。会の正式名称は、「山西省内における中国侵略旧日本軍の性暴力の実情を明らかにし婦人たちと共に進む会」と大変長い。しかし、石田さんによると、この長い名前こそ、創設メンバーの初志と決心を良く表現しているという。
「山西省明らかにする会」は、創設されて以来、山西と日本との間を数十回行来した。旧日本軍による性暴力被害を受けた生存者を探し、彼女らを個別に取材した。調査による確証を得た後、山西省の被害者9人とすでに他界している被害者1人の娘を選び、彼女らに毎年8千元(約10万円)の医療支援金を提供している。
メンバーの池田理恵子さんは、一冊の刊行物を記者に手渡した。書籍の題名は「出口気(憂さ晴らしの意)」とユニークだが、内容は極めて重く、生存している山西の慰安婦について書かれている。
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