中日関係には、「石原慎太郎」という毒素が混じっている。「慎」という字が入っているにも関わらず、中日関係の問題に対するその言動にはまったく「慎み」が感じられず、軽率で向うみずな発言で、事態を悪化させてばかりだ。中日友好を願う人々からは、「石原混太郎」というあだ名で呼ばれている。
釣魚島をめぐる係争は、中日関係に悪い影響を及ぼしてきたが、これほど事態が悪化しようとは誰が想像できただろう?1972年の中日国交回復以降、中国政府はさまざまな努力を費やし、日本の歴代首相も日中関係の大局を把握し、島の問題などよりもっと重要なことがあり、日中の指導層が達成した暗黙の了解を守るべきだと認識し、問題を表沙汰にして大きくしないように細心の注意を払ってきた。
日本の政治家の中には国民の人気を得るために政治的パフォーマンスを行なう者がいる。だがそれが、中日両国の国民の心を捉えることは出来ないし、中日関係を根本から覆すことなぞできっこないのだ。
新潟県三条市には漢学界の巨匠の記念館がある。先日、在新潟中国総領事館から当記念館へ贈呈品が送られる、その式典に私も参加した。暑い盛りだったが、幼稚園児数十名の元気いっぱいの合奏が、我々中国から来た客を歓迎してくれた。演目が終わる毎に、汗だくの子ども達が、拙い中国語で「歓迎、歓迎、熱烈歓迎!」と一斉に声を揃え、我々客達の心をさらっていく。中国文化部の劉徳有元副部長は「このところ、中日間の友好にヒビを入れることが発生していますが、今日、我々を歓迎するために演奏してくれた日本の子ども達の一生懸命な様子に胸がいっぱいになりました。中日間の草の根交流こそ、中日友好の今後を担うものなのだ、と改めて思いました」と感慨深げに発言している。
中日間の交流には長い歴史がある。中日国交回復に尽くした学者の郭沫若氏は「二千年の友好、 五十年の干戈(かんか、戦争の意)」という言葉で中日関係を表している。中日関係は、一時の事態で左右されるものであってはならない。ましてや、年老いた日本の一政治家の発言によってぐらつくものであってはならないのだ。
中国人も日本人も非常に優れた民族である。優れた民族を擁するアジアの2国が手を結び、西洋とは異なる文化を築き、それぞれ特色ある提携モデルを作って行かなければならないのだ。(蒋豊「日本新華僑報」編集長)
「中国網日本語版(チャイナネット)」2012年8月24日 |