ロンドン五輪シンクロのチームで中国を初の銀メダルに導いた元日本代表ヘッドコーチ、井村雅代氏に初めてお会いしたのは、オーストラリア・メルボルンで開催された2007年世界水泳選手権だった。
世界最高レベルに上り詰めた栄冠に輝く日本のベテラン女性コーチが初めて中国チームを率い大会に出場した時は、大きな波紋を呼んだ。メルボルンでは、中国シンクロチームは中日両国メディアから空前の注目を集めた。予選だけでも現場に駆けつけた記者は2けたに上った。それまで中国国内で無名だった競技が、スポットライトを浴び始めた。
「井村先生は中国シンクロチームに技術的な刷新をもたらしたが、それ以上に競技への注目度の向上に貢献した」。私はテレビ朝日の取材に対しこう答えた。金メダルコーチというだけでは、人々の大きな関心を集めることはできない。北京五輪が間近に迫る中、多くの外国籍コーチが中国各代表チームに流れ込んでいた。そうした中でメディアの注目を集めたのは、井村氏が日本人だからにほかならない。中日両国は微妙なライバル関係にある。
メルボルン大会での4種目4位から北京での団体銅メダルまで、井村氏は中国チームを率い、夢の表彰台へ一歩一歩近づいた。北京五輪の大役を終えると、任期満了でいったんは帰国するが、2010年広州アジア大会のために再び中国チームのヘッドコーチに就任した。
実際のところ、選手達の日本人コーチに対する気持ちは複雑だった。井村氏は選手達の演技に質的変化をもたらしたが、彼女の「地獄の特訓」は若き中国女性達を恐れさせた。朝8時から深夜10時まで練習が続くことなど当たり前だった。井村氏は自分に対しても厳しかった。コーチとして初めて北京に滞在した1年半で観光といえば、早朝の散歩でマンション近くの天壇公園に行ったのみ。五輪が閉幕し、肩の荷が下りてようやく万里の長城を訪れた。シンクロは井村氏の職業であり、生活の全てだった。
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