フランスのオランド大統領は当選当日、暴風雨をおしてベルリンへ駆けつけた。また、その首相任命の重要な条件は「ドイツに対する理解」だった。欧州の両大国はかくも親密だ。アジアの両大国である中国と日本もいつかこのようになれるのだろうか?(文:張雲・新潟大学准教授。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)
今年は中日国交正常化40周年であり、本来は祝賀し、未来を展望すべき重要な年だ。だが立て続けに起る騒ぎによって暗い影に覆われてしまった。実際には過去数年間ずっと中日関係は苦境から脱することができず、経済関係が緊密化する一方で、政治・社会関係は逆に後退する趨勢が続いてきた。
多くの人は中国の台頭によって心のバランスを失したことを日本の対中政策の主要誘因と見ている。確かに、中日両国が同時に強国であることはこれまでなかった。百年間続いた「強い日本と弱い中国」という構図が逆転しつつあり、パワーバランスの変化が日本の対中認識を変えつつある。一方で、日本の対中政策を本当に説明するには、冷戦後20年間の日本の対外戦略、内政、社会など様々な角度から分析しなければその全貌は明らかにできない。
第1に、冷戦時代に対外戦略思考をしっかりと鍛えられなかった日本は、冷戦後の新たな対外戦略について長らくコンセンサスを形成できずにきた。第二次大戦後は日米同盟が日本外交のほぼ全てを占め、日本は対米外交至上主義と「吉田ドクトリン」の下で安全保障と経済繁栄を手に入れた。だが米国の保護の下で戦略的思考と世界的思考の機会も失った。
冷戦後に二極構造が解体して、中国など新興国が国際社会に改めて融け込み、日本外交の幅も広がった。だが戦略的思考は準備不足で、大戦略の中でいかにして中国の位置づけをしっかりと行うかについて、明確なコンセンサスがなかった。しかし、冷静な日本の戦略家たちは、中日関係を犠牲にした「吉田ドクトリン」と「日米基軸」の堅持が、長期的な国益に沿わないことに気づくことができるはずだ。
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