|
約1千人が参加した東日本大震災犠牲者追悼49日法要=昨年4月28日、宮城県女川町 |
この知らせを聞き、招さんらはあえて温かい食事を贈った。「いわきに着いたとき、すでに物資は戻りつつあり、スタンドにもガソリンがあり、被災者に特に困窮した様子はなかった。しかし食事は基本的にパン、おにぎり、缶詰などでした」。招杏明さんは被災者らに、今後も料理ができたら、真空包装・冷凍した上で送り届ける、と約束した。
招杏明さん以外にも、多くの在日華人がボランティア活動に参加した。朱惠上ウん(女性)も1週間、汗だくになってボランティア活動に加わった。「あの頃は至る所にボランティアの姿がありました。ユニフォームも実に様々でした。大学もあれば、教会のボランティアもあった。でも所属団体は関係ありませんでした。人手が足りない場所に誰かが行く。協力の絆は、すでに心が通い合っていました」
在日華人は、地震・津波・放射能漏れの恐怖を経験しても依然、日本での生活を続けている。日本に住み続ける決心をした華人が最も多かろう。日本の震災復興の道は、在日華人もその中にいる。(杜海玲)(編集HT)
「人民網日本語版」2012年2月23日
|