東松島市では、自治体が被災家屋の解体撤去に当たったが、取り壊し作業に立ち合わなかった住民も多くいたという。代々受け継がれた自分の家が取り壊されるのを目にするのが忍びなかったのである。当該自治体の職人は「こうした記憶をできるだけ多くの人に伝えてほしい。この災害を風化させないためにも、我々は辛い記憶を伝え続けるしかないのです」と述べている。「私の家も津波に流されましたから」という彼の目には涙がたまっていた。
3月11日に発生した地震および津波は、東松島市の人口の3%(1,116人)の命を奪っていった。また、2万3千人が自宅に住めなくなった。当市では今回のような大津波を防ぐ防波堤を建設中である。各種防災設備の建設に、国は3千億円以上の予算を組んでいる。
地震の辛い記憶は伝えていくべきなのだろうか?それとも、思い出せば辛くなるから忘れるべきなのだろうか?瓦礫の山、破壊し尽くされた街を目の当たりにした私は、ただ無力感だけに苛まれ、その答えを出すことはできなかった。
未曾有の事件が起こった2011年は去った。だが辛い記憶は未だに人々の心から離れない。そしてそれは日本の未来にも影響をおよぼしているのである。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年1月9日 |