しかし、考えてみると、人間というものは物事に慣れてしまうと、感動する心を失ってしまうのではないかとも思っている。私は仕事でなが年日本に滞在したことがあるが、岐阜の郡上市八幡の盆踊りを見ても、北海道網走の流氷を見ても、はたから見ておかしいくらい感動したことがある。三好さんはなが年国際貿促でお仕事をされ、中国の民俗・文化に関心を持っていたのであろう。そして画家としてこうした風物詩をスケッチによって形にしたのだろう。
5月の「西直門内大街」のブティックも、私はショーウィンドウからのぞいて見たことがあるが、日本やフランスのファッション雑誌が中国でも手に入るせいか、ハンガーに吊るされているアパレル類は、どうも私が東京の原宿で目にしたものとそっくりのものもある。8月の「老舎の故居」も、中国現代文学に興味のある人なら何度も行っているはず。老舎のあの有名な作品「駱駝祥子」、「竜須溝」はここで書かれたのであろう。10月の「四合院の木」は、私の子供がおばあちゃんの家で少年時代を過ごしたので、感慨深いものがあった。おばあちゃんの家の庭にもナツメの木があったのだ。11月の「南羅鼓巷」は今では北京の観光スポットとなり、観光会社が目玉として売り出しているところ。
三好さんは中国各地でスケッチの旅をしているようだが、まだまだすばらしい作品があるのだろう。日本でも何回も個展を開いているらしいが、中国でも個展を催されてはどうだろう。中国人の画家に失礼になるかも知れないが、これほど中国の庶民に密着した絵はあまり目にしえなくなっているような気がする。
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