日本の最大野党・自民党の3議員が8月1日、独島(日本名「竹島」)に近い韓国領の鬱陵(ウルルン)島視察のため、ソウルの金浦空港に到着した。だが、韓国法務部出入国管理所より韓国入国の許可がおりず、3議員は同夜日本に送り返された。これに対し、韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領側近の李在五(イ・ジェオ)特任長官がネット上で「(日本)戦犯の子孫たちが大韓民国を厚かましくも視察しようとしている」とし、「このような行為を我々は絶対に許しておくわけにはいかない」と主張している。
◇保守反動派議員の代表格
この度、訪韓したのは新藤義孝衆議院議員、稲田朋美衆議院議員、佐藤正久参議院議員の3議員である。いずれも50歳代前半で、政界でも屈指の右(保守)派の反動政治家として知られている。
3議員のうち、李特任長官が言う「戦犯の子孫」とは新藤義孝衆議院議員である。衆議院選挙に4回の当選を果たしている新藤議員は、現在、自民党内部の「領土特命委員会」の委員長代理を務めている。独島について、日本側の立場である「韓国の不法占拠」という表現を岡田克也外相が国会答弁で避けている問題について、昨年、衆議院外務委員会において、岡田外相に再三にわたって質疑した人物でもある。
この度の3議員訪韓が韓国国内で明るみになった途端、韓国側の世論が大きく広がり、3議員の経歴までもがクローズアップされるようになった。不特定多数の人間がターゲットの個人情報を根こそぎネット上にアップする人力検索の運動により、「新藤議員の母方の祖父は、旧日本軍の栗林忠道陸軍大将だ」といった情報が韓国のネット上で公開されている。栗林忠道とは、太平洋戦争中、小笠原方面最高指揮官として、激戦地である硫黄島で米軍を相手に奮戦し、1945年、硫黄島で戦死した人物で、今では右翼のカリスマ的存在になっている。
◇徐々に社会的地位を取り戻す戦犯の子孫
敗戦後、A級戦犯(戦争の指導的立場にあった人で、極東国際軍事裁判により有罪判決を受けた人)の遺族、と烙印を押された彼らの宿命は苛烈だった。敗戦直後、東条英機らA級戦犯に対する日本国民が抱くイメージはドブネズミと同じく汚らわしいものであった。戦犯の遺族にも民衆のこうした避難の目が向けられた。東条英機の遺族は、石を投げつけられたり、避難所の米の配給を何度も拒絶されたりと、さまざまな場面で屈辱的な思いをしてきたという。東条英機の孫の東条由布子さんは、「東条の姓を名乗ることすら嫌だった」と戦後50年における一族の苦労を語っている。
だが時代は流れ、日本の社会にも変化が起きてきている。戦犯の子孫の中には、人の上に立つ者として社会の一角を担っている人もいる。国会議員を務める者もあれば、経済界の権威となっている者、作家や芸術家として成功している者もいる。なかには多大な影響力と持つ政界のスターにのし上がった者もいる。
安部晋三・元内閣総理大臣の母方の祖父は、1948年に釈放されたA級戦犯容疑者の岸信介(第56代内閣総理大臣)である。政党「たちあがれ日本」の代表を務める平沼赳夫議員の養父は、A級戦犯の平沼騏一郎である。平沼赳夫議員は運輸大臣、通商産業大臣、経済産業大臣などの要職の歴任してきた人物である。
アナリストによると、戦犯の子孫が日本の社会において地位を確保できるということは、日本国民の意識が変化していることを表している。日本国民のほとんどは「戦争は昔のこと」という認識をしている。戦犯の子孫に対しても「寛容な態度を示すべき」とし、戦犯達の責任を子孫に負わせるべきではないという意見が一般的である。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年8月12日 |