村井淳氏
――中国の環境ビジネスについてどうご覧になりますか。
1978年12月に中国の改革開放策がスタートして以来、30年間に中国は改革開放、発展の道を邁進したが、河川、土壌、大気等の環境保全に目配りが足りず、その反省に立って中国政府は今後の30年間を環境にも人にも優しい和谐社会の構築に向け、舵取りを切ったのではないかと私は理解しています。
したがって今後の中国は政府の強力な指導の下で、まずは人間の生存に欠かすことのできない良質な水の確保、すなわち上水道施設の更なる整備を通していつでもどこでも美味しい水が得られるような社会を目指すことは容易に想像することができます。
また下水処理施設の整備をはじめエネルギー消費型の産業構造・生活様式から省エネルギー型への転換、さらには国土の砂漠化を阻止すべき緑化事業の推進等々克服すべき課題は少なくありません。
このような状況下にあって、とりわけ水質浄化に有効な機器類や省エネタイプの設備機器類を製造・販売する企業にとって中国市場におけるビジネスチャンスは今後着実に増大することが予想され、同時に各企業間の競争もまた激化するものとみられます。加えて、中国政府による各種ルールの設定ならびに改廃のスピードが早いため、この点に関しては日頃から十分注視していかなければならないと思っています。
――今後の中日環境協力についてどう思われますか。
両国政府間の協力以外にも、大学ならびに研究機関相互間で人材育成のための交流や 共同研究が活発に行われ、また民間企業による支援活動も積極的に実施されてきたと聞いております。
とりわけ、日中平和友好条約締結10周年を記念して1988年に設立が合意され、1996年 から本格的に活動を開始した「日中友好環境保全センター」がその後15年間に亘って資金協力、技術協力、人的交流を通して中国の環境問題解決のために大きな役割を果たした、という事実も忘れてはならないと思います。
結論めいた言い方をすれば、日本が過去の高度成長期に経験した工場排水等によって 惹起された公害問題の苦しみから立ち上がり、そこで体得した処方箋やノウハウを中国側にお伝えすることによって、中国国内における具体的な環境改善等の成果以上に環境問題を専門とする人材が数多く育ったことこそ、中日環境協力の何よりの財産だと私は考えています。(本誌記者 繆暁陽)
村井淳氏プロフィール
1943年生まれ、新潟大学人文学部人文科学科及び経済学科卒業。1968年、財団法人経済調査会に勤め、調査部長、企画審査部長、関西支部長などを歴任、2003年定年退職。2007年から現在の北京興僑国際工程技術有限公司副総経理。
「北京週報日本語版」2009年9月29日 |