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中国と日本  
周恩来総理と中日関係(中)生誕110周年にあたって

1971年2月に覚書貿易の会談を催したとき、中米関係にはすでに緩和の兆しを見せていたので、会談は比較的に順調に進んだ。日本側は会談のコミュニケの中で、次のことを承認した。

それはすなわち、中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の合法政府であること。台湾は中華人民共和国の領土の不可分の一部であり、いかなる形式でも「二つの中国」と「一中一台」をつくる陰謀も許されないこと。日本と蒋介石政権との間に調印された「条約」は本来、非合法的、無効なものであり、廃棄しなければならないこと、である。

日本側はずっとこの「条約」が、1952年以来の日本の外交がよって立つ基礎であることを口実にして、これまで触れないままにしてきた。このとき初めてそれをコミュニケに入れることに同意したのは、非常に大きな進展であった。

続いて公明党が訪中した際、上述の3つの原則を基礎に、日中国交回復の5原則を提起した。社会党、民社党、日中議連(日中貿易促進議員連盟。1973年に日中友好議員連盟と改称)代表団も相次いで中日友好協会と発表した共同コミュニケの中で、中国側のこの原則的立場を支持すると表明した。

後に周総理は、台湾問題における中国側の立場を中日国交正常化の三原則に帰納させた。当時の条件の下では、中日関係正常化の条件はまだ成熟していなかったけれども、経済貿易関係の絶え間ない発展にともない、国交正常化の問題はすでに提起され、双方は検討を進め、それ以後の成功と解決のためにしっかりとした基礎をつくったのである。

多方面での交流が拡大

1950年代から始まって、経済面と民間の往来が日に日に拡大すると同時に、中日間は文化、芸術、スポーツ、衛生から政界、労働組合など各方面の民間往来、あるいは「半官半民」の往来が日増しに発展してきた。その間に起伏はあったとはいえ、終始、往来は絶えなかった。その成果の一つとして、双方は漁業、文化、科学、労働組合などの分野での協定に調印した。中日双方はその他の面での民間往来でも、両国の人々の理解と友情を深め、両国関係の発展を推し進めた。

1955年に元首相の片山哲氏が、1959年に元首相の石橋湛山氏がそれぞれ訪中した。その主な目的はみな中日関係をどう発展させるかについてであった。1956年6月、日本の労働組合代表団が中国を訪問し、両国の政治関係の問題についても話し合われた。周総理は彼らとの会見でこう述べた。

「両国の民間団体の往来は、すでに新記録を創りました。両国の人々は、政府間の交流がまだ行なわれていないうちに、直接、『外交』を行ない、多くの問題を解決しました。これは双方にとって有利なことです。私は外交部長として皆様が中日両国の外交関係樹立に道をつけたことを感謝しています」

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