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中国と日本  
元日本陸軍軍曹・坂倉清氏の証言

入営して5カ月で実践の場に出るように言われた。当時、逃げていく農民を追っていったところ、若い女性が血を流して倒れていた。その脇で1歳ほどの赤ん坊が血で真っ赤に染まった母親の乳房を求めていた。その赤ん坊が私に顔を向け、にっこり笑った。そのとき私は背中から冷や水を浴びたような気がした。その赤ん坊は母親のそばで死んでしまったと思う。

ある日、私は八路軍を探してあちこち討伐をしていた。小隊長の命令で5人の農民を引っ張ってきた。そして小隊長の「池に放り込め」という命令に従った。私たちは5人の農民を小さな池に放り込んだ。小隊長は、「這い上がってくるヤツは踏みつぶせ」と怒鳴った。兵隊が池の淵に手をかけた農民を踏みつけた。そして銃の尻で突いた。私はその兵隊に負けてはまずいと思い、すぐ近くから天秤棒を持ってきた。そして上がってくる男を突いた。そんなことを繰り返すうち、池の中は血の海と化した。いま思うとどうしてあんなことができたのかと思う。

こういうことを積み重ねるうちに私は人を殺すことを何とも思わなくなった。略奪も数多く行った。そして毒ガスを使って農民たちにガス実験を行った。また何の罪もない農民をつかまえて日本に送り込み、強制連行をする作戦にも私は参加した。

私は農民を拷問した。八路軍の掃討のために集落へ行ったり来たりして捕虜を探し歩いた。ちょうど1942年の1月末の春節のころ、たくさん集めた農民の前で中隊長は通訳を通して「この村で八路軍を捕まえた。兵器を隠してないか」と質問した。そのとき農民たちは「没有(ない)」と答えた。中隊長は拷問しろと命令した。私は同僚の初年兵と古参兵の3人で30歳くらいの農民に目をつけた。民家の玄関の戸をはずしてそのうえに男をのせて縛り付けた。そして顔を布で覆った。そしてヤカンに入った水の口先をその農民の鼻に吸い込ませた。古参兵は「銃はどこだ。八路軍はどこだ」としきりに聞いた。男は「没有(ない)。不知道(知らない)」と答えつづけた。古参兵が「もっと水を飲ませろ」と言った。私は水をどんどん顔に注いだ。30分ぐらい繰り返すうち男のお腹が大きく膨れ上がった。そして古参兵はその男のお腹のうえに足を乗せると力いっぱい蹴りつけた。そのとき男は鼻と口から血の混じった水を吐き出した。そんなことを何回か繰り返すうち、男はものも言えなくなり意識をなくした。古参兵はそれでも「それじゃダメだ。もっと強い酒を持ってこい」と命じた。私は酒を探してきた。持ってきたその酒をその男性の鼻に注いだ。男性は酒を飲んだせいで意識を取り戻し、体を動かし苦しそうな顔をした。そんなふうにしてありったけの酒を飲ませたころ、男は完全に意識を失っていた。ところがそのとき、その男性は無意識のうちにか「有、有(ある)」と言った。このとき古参兵も私も「しめた」と思い、男を縛った縄をほどき立たせようとしたが、男は立ち上がれなかった。しかたなく3人で力をかして立たせた。そして男と一緒に近くの民家まで行くと、かまどの前でバタッと倒れた。私は「こいつ死んでしまった」と言い、私たちはその場から離れた。これは本当に申し訳ないことをしたと今になって思う。

私たちはこのようにして、人を殺したり、家を焼いたり、物を奪ったり、拷問をしたり、あらゆる罪業を行った。それが天皇のためだと信じていたからだ。しかし、実際は日本の侵略の手先に使われたというだけのものだった。

1945年8月15日、敗戦の日を迎えた。私は虚脱感とともに、死なないでよかったという安堵を感じた。私はそれからソ連の兵隊によってシベリアに抑留され5年間の強制労働についた。零下20度の極寒のもとで寒さと栄養失調のため多くの兵隊たちが亡くなった。

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