新疆は古代の東方と西方の経済・文化交流の主な通路、中枢として、昔から多くの宗教が並存する地区である。早くもイスラム教が伝来する前から、?教、仏教、道教、マニ教、ネストリアン教など多くの宗教が相次いでシルクロードに沿って新疆に伝播され、現地で生まれ発展した原始宗教と共に各地に伝わっていった。イスラム教が伝来した後、新疆で多種の宗教が並存する局面が保たれたばかりでなく、キリスト教、カトリック教などの宗教も伝来した。
外国の宗教が伝来する前、新疆の古代住民は地元で生まれ発展した原始宗教および原始宗教から発展したシャーマニズムを信仰していた。今でも、新疆の一部の少数民族は程度こそ違うが、原始宗教とシャーマニズムの観念、風俗を保留している。
前4世紀前後に古代ペルシャで生まれたゾロアスター教つまり中国の言う?教(俗に拝火教と呼ばれる)は中央アジア経由で新疆に伝来した。南北朝から隋・唐時期までの期間に、?教は新疆各地で流行り、トルファン地区ではとくに盛んであった。当時の高昌政権は?教管理を強化するため、わざわざ機構を設置し、役人を配備した。新疆のイスラム教を信仰する一部の民族は歴史上?教を信奉したことがある。
前1世紀前後に、インドで生まれた仏教はカシミール経由で新疆に伝来した。その後まもなく、仏教は各地の統治者が大いに推し進める下で、新疆の主な宗教に発展した。仏教の最盛期に、タリム盆地周辺の各オアシスでは、仏寺が林立し、僧侶と尼僧が大勢おり、于?(ユータン)、疏勒(スゥロ)、亀?(グェーズ)、高昌(ゴーチャン)など有名な仏教中心が形成された。新疆の仏教は仏像製作、絵画、音楽、舞踊、寺院と石窟建築芸術などの面で非常に高いレベルに達し、大量の貴重な文化遺産を残し、中国と世界の文化芸術宝庫を豊富にした。
5世紀前後に、中国の内陸地区で流行った道教は漢人がたえず入ってくるに従って新疆に伝来した。しかし、伝播の範囲は広くなく、主に漢族の人が集中していたトルファン、ハミなどの地区で流行った。清代になってから、道教はやっと新疆全域に伝播した。
6世紀前後に、マニ教はペルシャから中央アジア経由で新疆に伝来した。9世紀中葉に、マニ教を国教とする回鶻が新疆に西遷した後、マニ教の新疆での発展を促した。マニ教を信仰する回鶻人はトルファン地区で寺院を建立し、洞穴を掘り、経典を翻訳し、壁画を描いて、マニ教の教義と文化を推し広めた。マニ教が伝来する前後に、ネストリアン教(キリスト教の早期の宗派であるネストリアン派)も新疆に伝来したが、初期の伝播は広くはなかった。元代(1206年~1368年)になってから、多くの回鶻人が信奉するようになってから、ネストリアン教はようやく盛んになってきた。
9世紀末から10世紀初めにかけて、イスラム教は中央アジア経由で新疆の南部地区に伝来した。10世紀中葉、イスラム教を信奉するカラ汗王朝はユータンの仏教王国に対し40余年にわたる宗教戦争を発動し、11世紀初めに于?を滅し、イスラム教をホータン地区に推し広めた。14世紀中葉から、チャガタイ汗国(ジンギス汗の次男チャガタイが西域で樹立した属国)の強制的推進の下で、イスラム教は次第にチャガタイ汗国にいる蒙古人、ウイグル人、カザフ人、キルギス人、タジク人などが信奉する主な宗教となった。16世紀初めに、イスラム教はついに仏教に取って代わって新疆の主な宗教となった。
イスラム教がウイグルなどの民族が信奉する主な宗教となってから、それまでにこれらの民族が信奉していた?教、マニ教、ネストリアン教は新疆でだんだんすたれていったが、仏教、道教は依然として存在した。明代から、チベット仏教も大きな発展をとげ、イスラム教とともに新疆の二大主要宗教となった。17世紀後半に、イスラム教アクタリク派の首領アパクホジャはチベット仏教の力を借りて政敵のカラタリク派ホジャの勢力を消滅し、同時にヤルカン汗国(蒙古のチャガタイ汗の子孫が1514年から1680年までの間にいまの莎車(サチェ)を中心に樹立した地方政権)を滅した。これを見ても、当時チベット仏教の勢力が大きかったことがわかる。およそ18世紀からキリスト教、カトリック教が相次いで新疆に伝来し、仏教、道教、シャーマニズムもわりに大きな発展をとげた。これら宗教の寺院と教会は天山の南北にくまなく分布しており、一部のイスラム信者がキリスト教など他の宗教を信仰するようなことさえ現われた。
歴史上、新疆の宗教はたえず変化していたが、外来宗教が伝わってきてから形成された多種の宗教が並存する局面がずっと保たれている。現在、新疆には主としてイスラム教、仏教(チベット仏教を含む)、キリスト教、カトリック教、道教などがある。シャーマニズムも一部の民族の中で依然としてわりに大きな影響力をもっている。
「北京週報日本語版」 資料 |