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北京週報>>特集>>歴史を銘記し、未来に警鐘を>>評論  
誠意ある懺悔こそ、良知ある日本人

 

安倍晋三首相による侵略の歴史の美化、南京大虐殺の否認の流れは依然続いているが、良知ある少なからずの日本人が当時の災難を心に刻み、様々な手だてで懺悔、贖罪している。揚子晩報網が伝えた。

例えば南京大虐殺記念館の大型油絵「南京破壊の跡」を描いた日本人画家、水原房次郎氏は、従軍記者として南京大虐殺の惨状を目撃、亡くなる前に作品を記念館に寄贈した。元日本人戦犯・塚越正男氏は撫順で6年の教育を受けた後、日本反侵略友好訪中団を率い記念館を3回訪問し懺悔、中国政府に新たな命を授かったことに感謝した。

一部の旧日本兵は昨今、徐々に沈黙を破るようになり、日本社会に大きな衝撃を与えている。東史郎氏は旧日本兵を代表し懺悔し、生前に延べ8回、記念館を訪れ謝罪した。歴史の真相を人々に伝えるべく、日本で戦時日記を出版し、日本の右翼と最高裁まで争った。

毎年清明節(4月5日頃)になると、日中協会は日本国民を募り、懺悔のため南京を訪れ植樹する。すでに29年続き、6万本以上の木が植えられた。彼らの活動は「緑の贖罪」と称される。活動の提唱者である岡崎嘉平太、菊池善隆の両氏が亡くなった後も、妻子が遺影を掲げ南京を訪問、贖罪を続けた。

日本では教科書改訂、靖国神社参拝などの事件が相次ぎ、多くの平和を愛する日本国民は自発的に反戦団体を立ち上げた。例えば毎年8月15日前後、「銘心会」は南京など中国各地で戦争責任追及集会を開いている。松岡環さんは1987年より、「銘心会」南京友好訪中団団長を務めている。

松岡さんは1987年、初めて記念館を見学し、旧日本軍の罪業に衝撃を受け、生活の重心を移した。南京を延べ100回以上訪れ、南京大虐殺生存者180人以上を訪ねた。同時に日本国内の旧日本兵250人以上も訪ね、侵略の歴史を明らかにするため自ら編集・出版した著作は、日本で南京大虐殺の歴史を伝える上で一定の役割を果たした。

1939年、旧日本軍の衛生材料工場長兼軍医だった山口誠太郎氏は紫金山のふもとで南京の女の子がオオアラセイトウを摘んでいるのを見掛け、深く感動した。種を日本に持ち帰り、紫金草と名付けた。退役後、山口氏一家は4代にわたり花の種を精魂込めて育て、寄贈し、日本に広めた。日本の教師・大門高子さんと作曲家・大西進氏はこの物語を背景に、合唱組曲「紫金草物語」を創作、全国に20の「紫金草合唱団」を誕生させ、紫金草を平和の花として、日中両国で広く伝え続けている。

山口誠太郎氏の子息、山口裕氏は記念館に2007年、5千平方メートルに及ぶ紫金草花園を寄贈した。2009年、日本の平和を愛する人々が提唱し、募金により創作された「紫金草の女の子」銅像が記念館で落成した。(編集HT)

「人民網日本語版」2014年12月5日

 

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