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北京週報>>特集>>釣魚島紛争>>歴史的根拠  
日本人上陸者の長女が証明、釣魚島は中国に返還すべき(2)

 

井(伊)澤眞伎氏の証言文書の写真。

「父は上陸後調査を行ったのですが、そのときに洞穴の中に中国の服を着た骸骨2体を発見しました。今考えてみると、父が島に上陸する前に、すでに中国人が到達していたのでしょう。父と古賀さんが知り合ったのは、当時古賀さんにはお金があり、『沖縄での事業経営に資金が必要なら、一緒に協力するのはどうか』と父に持ちかけたからです。古賀さんが出資したので、名義上古賀さんの経営となりましたが、実際には父が全てを取り仕切っておりました。古賀さんも、私の父が自由に経営することを認めると言ったことがあります」

「古賀さんが明治28年(1895年)に政府に提出した開拓申請書にある『明治17年(1884)に発見』というのは、弁護士に頼んで捏造したもので、絶対に事実ではありません」

「父が発見した時に既に中国人の遺体があり、又島の名も中国がつけたものを政府が知っていたのですから、それで日清戦争(注:甲午戦争)によって台湾と一緒に奪い取ってから、明治29年(1896年)に正式に日本の版図に編入したのです」

「日本と中国が仲よくやってゆかなければならないときに、あの島々を日本側が無理に自分のものだと主張するのは間違っています。日本は、戦争に負けたとき台湾と一緒に奪い取った島々を中国に返すと約束しているのですから、尖閣列島は当然、そのもとの故郷中国に返さなければなりません」

伊澤弥喜太は最も早く釣魚島に上陸し、海産物の採集などをした日本人であると考えられる。そしてその長女は、釣魚島は中国のものだと証明したのだ。だからこそ日本政府は伊澤弥喜太に言及しない一方で、古賀辰四郎をほしいままに顕彰したのかもしれない。

だが、古賀が承認された釣魚島開発は、実質的に日本の台湾植民地支配時代の植民開拓である。日本は1945年にポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏を宣言したことに伴い、海外植民開拓の全ての権利も失ったのである。(編集NA)

「人民網日本語版」2014年1月20日

 

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