日本の石垣市は14日、「尖閣諸島開拓の日」記念式典を行った。安倍晋三首相も式辞を寄せ、強硬姿勢を重ねて表明した。日本文部科学省も釣魚島(日本名・尖閣諸島)に関する宣伝を中高教科書に盛り込む方針を堅持している。実は、いわゆる「尖閣諸島開拓の日」は伊藤博文内閣が釣魚島を沖縄県の管轄下に置くことを秘密裏に決定した1895年1月14日に由来し、「開拓の日」と呼ぶよりも「窃取の日」と呼んだ方がいい。1895年までの約10年間、日本政府は秘密裏の調査によって釣魚島が中国の命名した島嶼であることをすでに十分に把握しており、そのため甲午戦争(日清戦争)の勝利が確定的となるのを待って秘密裏に盗み取ったうえ、1884年に古賀が島に上陸して開発したとの謬説を捏造したからだ。本記事は日本政府の誤った宣伝に日本国民と国際社会が騙され続けることのないよう、歴史上の事実と当事者の長女の証言に基づき内幕と真相を明らかにする。(文:劉江永・清華大学現代国際関係研究院副院長。環球時報掲載)
■「1894年に上陸、開発」は捏造の疑い
日本外務省の主張によると、古賀辰四郎は明治17年(1884年)から釣魚島などの島嶼で漁業活動に従事し、政府に国有地借用書も提出。これによって1896年9月に日本政府から釣魚島を30年間無料で借り受け、開発を行った。1925年の無料貸与期間終了後、その子の古賀善次が有料で借り受け、1932年には釣魚島(日本名・魚釣島)、黄尾嶼(日本名・久場島)、南小島、北小島を買い取って、いわゆる「島主」となった。2012年に野田佳彦内閣が島を購入し、政府による「国有化」を実現したのも、いわゆる私人の島主・古賀一家が戦後、栗原国起一家に島嶼を譲渡したことを踏まえたものだ。昨年以来、日本政府はインターネット上に動画を掲載して、日本人がかつて釣魚島で生活し、開発を行い、村を形成していたことを宣伝することで、釣魚島が「日本固有の領土」であることを証明しようとしている。だがこうした写真や画像は、いずれも日本が甲午戦争を利用して釣魚島を窃取し、台湾を植民地支配していた時期の植民開拓行為であり、日本の釣魚島「先占」のいかなる国際法上の根拠にもなり得ない。実は古賀辰四郎が1884年に上陸し、開発を行い、開発申請も提出したとの事実は存在しない。
古賀辰四郎(1856-1918)は福岡県に生まれ、1879年に日本が琉球を併呑した後に沖縄県那覇地区に渡って商業を営み、海産物を扱った。実は、古賀辰四郎が野村靖内務大臣に釣魚島の開発申請を初めて提出したのは明治28年(1895年)6月、つまり不平等な馬関条約(下関条約)の締結後だ。
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