張瑶華(中国国際問題研究所副研究員)
2013年、アジア太平洋地域全体の情勢は落ち着きを見せた中で、唯一中日関係だけが国交回復以来最も困難な状態に陥り、『中日平和友好条約』締結35周年の記念行事もそのためにほとんど行われなかった。このような局面は、中国に損害を与え日本にも利するところのない安倍首相の外交戦略の「功績」によるものだ。
「中国に損害与える」を核心として外交配置を展開
2012年、民主党政権の釣魚島「国有化」は中日国交回復40周年の「友好的なシーン」を台無しにした。その年の末、自民党が衆議院総選挙で勝利し、民主党から政権を奪回。自民党政権は民主党政権の軽率な島購入のツケを払う必要がないため、政権の交代は、互いに相譲らない事態に陥った中日双方に関係改善の余地を生むはずだった。安倍首相も第1次安倍内閣の頃から「中日の戦略的互恵関係」の概念を打ち出して、小泉政権後の中日関係改善の扉を開いた。安倍首相が返り咲いた時、人々には2013年に中日関係の新たなページが開かれることを期待する理由があるように思えた。
しかし、安倍首相は就任後中日関係改善に努めるどころか、むしろ釣魚島問題でより強硬な立場を取った。「中日の戦略的互恵関係」も、安倍首相によって両国関係の「政経分離」、つまり政治上は対立してもいいが経済発展への影響は望まないという道理に合わない理論に読み換えられた。さらに甚だしいことに、安倍首相の外交戦略によって、釣魚島問題は中日間の一部の利益争いから全体的対立にまで拡大し、両国間の問題も地域にまで広がり、中日の戦略的互恵関係は戦略的対立関係になってしまった。
安倍首相は政治上、冷戦外交を強力に推進している。安倍首相は「自由、民主、人権」を声高に叫び、意識形態や政治体制、社会制度の異同を国家関係の親疎の決定基準とし、それに「戦略的外交」という美名を冠した。安倍首相は意識形態で線引きをし、中国を敵対側に分類しようとしている。中国周辺の外交配置を強化することで、中国の戦略空間を圧縮し、中日関係において中国が服従せざるを得なくしようとしているのだ。安倍首相の考えでは、「志と信念を同じくする」国を団結し、これらの国どうしが情勢を掌握して初めて日中関係改善が実現することができる。安倍首相は、「日本の外交はまず日米同盟を強化することが必要。それから東南アジアやインドとの関係をより高いレベルに引き上げ、その上で中国との関係をよくする」と述べている。昨年の自民党総裁選挙の前後から、安倍首相は対中関係処理は2国間関係だけを見つめるのではなく、「地球儀を眺めるように」するべきだと何度も強調していた。いわゆる「戦略的外交」の実質は、手助けしてくれる仲間を集め、共同で中国に対抗することだ。首相再任後、安倍首相は直ちにこの政策構想を実行に移した。
しかし、意識形態だけを頼りに徒党を組み、「中国包囲網」を形成するのは容易ではない。そこで安倍首相は「領土問題」と「価値観」をセットにすることにし、意識形態の対立を「安全」の対立にすり変えた。安倍首相は中日間の釣魚島主権争いを利用して、中国を「実力で現状を変えようとしている」とけなし、自身を「被害者」と「地域安定の守護者」に仕立て上げたのだ。2013年、安倍首相は25カ国を訪問し、110回にも及ぶ首脳会談を行っており、徒党を組むために全力を尽くしたと言っていいだろう。訪問した先々で、水面下で或いは表立って中国を非難しようとした。オーストラリア、インド、日本、米国で「民主的安全保障のダイヤモンド」を作り、中国に対抗するよう呼びかけただけでなく、海洋安全保障協力を強化するため、東南アジアを歴訪し、ASEAN加盟国十数カ国を訪問した。また、経済援助と安保協力メカニズム構築などを通じて、フィリピン、インドネシア、ベトナムなどに「中国対抗同盟」を作って中国を抑制しようと遊説して回った。それと同時に、安倍首相はモンゴルとの「戦略的パートナーシップ」を強力に推進し、ロシアのプーチン大統領と4回にわたって会談し、日ロ協力強化により中ロの戦略的協力パートナーシップを瓦解させようとした。
1年余りにわたる安倍首相の中国に損害を与えることを目的とした外交配置により、中日関係は解決の難しい苦境に陥った。
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