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北京週報>>特集>>2013年中日関係 回顧と展望>>フォーカス>>「カイロ宣言」70周年  
発表後70年、今も意義ある『カイロ宣言』

高洪(中国社会科学院日本研究所副所長)

1943年12月1日、エジプトの首都カイロのミナホテルは、第2次世界大戦後の東アジア政治版図が変わる歴史的瞬間を見届けた。この日、このクフ王のピラミッド近くにあるホテルの芝生の上で、中・米・英三カ国の首脳は数日間の話し合いと協調を経て、ついに有名な『カイロ宣言』を共同で発表した。

歴史は鏡である。過去の正義と悪は、歴史の記録という鏡に映し出された時、天と地ほどの違いを見せる。同時に、歴史は物差しでもある。歴史上作られてきた国際法規は一種の拘束と規範であり、当時の国際社会の協調意志の成果を体現しているだけでなく、その後の国際構造と秩序、ないしは各国の権力範囲や行為準則をも定めている。『カイロ宣言』はまさに第2次世界大戦終結後のアジア太平洋地域全体の領土配分と国際秩序を定めた礎石であり、今日のアジア太平洋問題処理において重要かつ深遠な意義を持っている。

疑う余地ない『カイロ宣言』の法的効力

『カイロ宣言』は、「同盟国の目的は、1914年の第1次世界戦争の開始以後に日本国が奪取し又は占領した太平洋におけるすべての島を日本国からはく奪すること、並びに満洲、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還することにある。日本国は、また、暴力及び強慾により日本国が略取した他のすべての地域から駆逐される」としている。

1945年9月2日、日本の重光葵と梅津美治郎はそれぞれ政府と軍隊を代表して『ポツダム宣言』の無条件降伏文書に署名し、これを受諾した。こうして、アジアの歴史に新たなページが開かれた。

『カイロ宣言』発表から70年が経った今、戦後の歴史を覆すことを狙った日本の言行が再び注目されている。日本の右翼は故意に『サンフランシスコ平和条約』を持ち出して『カイロ宣言』の存在を弱めようとしている。現在の安倍政権の組織ロジックでは、日本が昔のような強国の地位を取り戻すには、強大な軍事力を築かなければならない。軍事力強化の前提は平和憲法の改正であり、改憲の前提は侵略戦争犯罪という確固たる証拠のある事実を覆し否定することだ。だからこそ、歴史の歪曲と書き直しが今日の日本の政治に必要になったのだ。

『カイロ宣言』の実質的内容は『ポツダム宣言』に完全に受け継がれ、戦後の同盟軍の日本占領初期にも体現されている。このような対日戦後処理上の法的連続性と一致性は、日本が中国との島嶼争いで法的根拠としている『サンフランシスコ平和条約』とは完全に異なっている。中華人民共和国を排除した『サンフランシスコ平和条約』に、中国政府は当時から抗議を唱え反対していた。不公平性、断続性、違法性のある条約で『カイロ宣言』に対抗する日本が国際法上の立脚点を持つことはできない。

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