「洋北漂」になる前に、矢野さんは東京で8年間奮闘しており、森田健作氏の付き人やエキストラをしていたこともある。「優れた役者になりたかったが、日本の時はやっぱりチャンスに恵まれなかった」。矢野さんは当時の端役を演じていた生活を振り返り、残念そうに語った。
2000年、運命は彼に「中国の夢」の扉を開いた。矢野さんは偶然知り合いの紹介を通じて、中国で主役級俳優としてテレビドラマ「永遠の恋人」の撮影に参加する機会を得た。結局、このドラマではスターになれなかったが、俳優としての夢を実現する希望を見出し、中国へ行くことを決意した。
2001年、矢野さんは本格的に中国にやって来た。当時の彼は「你好(こんにちは)」、「謝謝(ありがとう)」、「対不起(すみません)」という3つの中国語しか話せなかった。矢野さんは中国で過ごした最初の日々を、「当時は生活も大変で、半年以上も出演の依頼がなかった。家賃は減らせないので、それ以外の生活費を大幅に減らさなければならなかった。それでも踏ん張って、僕にとっては当時大金だったお金を払って中国語を学んでいた」と振り返った。
「2003年、中国の楊陽監督と知り会って、彼女の監督したドラマ『記憶の証明』に出演した。これは僕の運命の大転換だったと言える」。このドラマがきっかけで、矢野さんは金色池塘影視文化有限公司(「金の池」芸能事務所)と契約した。その後、彼は「小兵張嗄」、「鉄道遊撃隊」、「狙撃手」などの抗日ドラマに出演し、中国で注目される日本人俳優になった。
しかし、日本軍人ばかりを演じさせられて悩んだ矢野さんは、さまざまなアプローチでイメージチェンジを試みるようになった。2012年、ドラマ「浮沈」で日系企業の総裁役、またドラマ「盛宴」で中国共産党地下党員を演じ、大好評を博した。
俳優のほか、2008年、矢野さんは視聴率トップクラスのバラエティー番組「天天向上」(湖南衛星テレビ)のレギュラー司会陣「天天兄弟」の1人になり、ユーモア溢れる司会で視聴者の人気を得た。「僕は大阪の出身。大阪人は笑いを取ることが好きで、観客の楽しそうな様子を見ると自分もとても嬉しくなる」と笑う。プライベートでも矢野さんはとても人気があり、2013年9月現在、中国版ツイッター「新浪微博」のフォロワーは131万人余りに達した。
今の成功を前に、矢野さんは「中国で自分の役者として活動できる舞台というものが見つかって、自分の生きがいを感じられた。中国の芸能界で認められる俳優になりたい。そのために頑張る」と語った。