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中国で夢を追い続ける――俳優の矢野浩二さん

 

本誌記者 暁陽


「金の池」芸能事務所との契約更新調印式で中国での奮闘ぶりを語る矢野浩二さん

12年前、夢を追い続けるために、矢野浩二さんは単身で大阪から北京に来て、「洋北漂(北京にやって来て活躍の場を求める外国人)」になった。中国語も分からず、最初は3つの単語しか話せなかったが、今や中国で最も人気がある日本人俳優になった。日本軍人を演じたり、視聴率トップクラスのバラエティー番組「天天向上」の司会者としても活躍。プライベートでは、中国人女性と結婚、中国籍の一女がいる。

この中国で暮らす日本人は、早くから中国をホームグラウンドにしてきた。現在の中日関係で、矢野さんの仕事は大きな影響を受けているが、彼は中国に根を下ろし、俳優としての夢の実現と中日民間交流促進に努力している。中国に対する思いや現在の仕事の状況、中日関係改善に対する考えについて、先ごろ、本誌記者は矢野浩二さんにインタビューした。

中国で俳優としての夢を実現

「洋北漂」になる前に、矢野さんは東京で8年間奮闘しており、森田健作氏の付き人やエキストラをしていたこともある。「優れた役者になりたかったが、日本の時はやっぱりチャンスに恵まれなかった」。矢野さんは当時の端役を演じていた生活を振り返り、残念そうに語った。

2000年、運命は彼に「中国の夢」の扉を開いた。矢野さんは偶然知り合いの紹介を通じて、中国で主役級俳優としてテレビドラマ「永遠の恋人」の撮影に参加する機会を得た。結局、このドラマではスターになれなかったが、俳優としての夢を実現する希望を見出し、中国へ行くことを決意した。

2001年、矢野さんは本格的に中国にやって来た。当時の彼は「你好(こんにちは)」、「謝謝(ありがとう)」、「対不起(すみません)」という3つの中国語しか話せなかった。矢野さんは中国で過ごした最初の日々を、「当時は生活も大変で、半年以上も出演の依頼がなかった。家賃は減らせないので、それ以外の生活費を大幅に減らさなければならなかった。それでも踏ん張って、僕にとっては当時大金だったお金を払って中国語を学んでいた」と振り返った。

「2003年、中国の楊陽監督と知り会って、彼女の監督したドラマ『記憶の証明』に出演した。これは僕の運命の大転換だったと言える」。このドラマがきっかけで、矢野さんは金色池塘影視文化有限公司(「金の池」芸能事務所)と契約した。その後、彼は「小兵張嗄」、「鉄道遊撃隊」、「狙撃手」などの抗日ドラマに出演し、中国で注目される日本人俳優になった。

しかし、日本軍人ばかりを演じさせられて悩んだ矢野さんは、さまざまなアプローチでイメージチェンジを試みるようになった。2012年、ドラマ「浮沈」で日系企業の総裁役、またドラマ「盛宴」で中国共産党地下党員を演じ、大好評を博した。

俳優のほか、2008年、矢野さんは視聴率トップクラスのバラエティー番組「天天向上」(湖南衛星テレビ)のレギュラー司会陣「天天兄弟」の1人になり、ユーモア溢れる司会で視聴者の人気を得た。「僕は大阪の出身。大阪人は笑いを取ることが好きで、観客の楽しそうな様子を見ると自分もとても嬉しくなる」と笑う。プライベートでも矢野さんはとても人気があり、2013年9月現在、中国版ツイッター「新浪微博」のフォロワーは131万人余りに達した。

今の成功を前に、矢野さんは「中国で自分の役者として活動できる舞台というものが見つかって、自分の生きがいを感じられた。中国の芸能界で認められる俳優になりたい。そのために頑張る」と語った。

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