中国国家図書館は本日「本館所蔵釣魚島関連文献説明会」を開き、釣魚島とその付属島嶼(日本名・尖閣諸島)に関する精選の古籍、地図、新聞・雑誌などを報道陣向けに展示した。数々の歴史文献は釣魚島は中国が最も早く発見、命名、利用し、かつ長期間管轄したことを証明している。人民日報海外版が伝えた。
■釣魚島は中国が最も早く発見、命名、利用した
展示資料の中でも、中国と琉球の海上境界を記した中国政府側の最も古い文献である『使琉球録』が注目される。
明朝洪武5(1372)年、太祖・朱元璋は楊載を琉球に使節として派遣し、即位と建号を詔告するとともに、察度を琉球王に冊封した。以来、琉球王はみな中国皇帝の冊封を受けた。中国の明清両朝廷は琉球王国に冊封使を計24回派遣した。その残した数々の『使琉球録』は冊封使の琉球での見聞だけでなく、釣魚島とその付属島嶼が中国の版図に属するという歴史的事実も記録している。
釣魚島について記した現存最古の史籍は明朝永楽元(1403)年の『順風相送』だ。陳侃『使琉球録』(1534年)は、中国と琉球の海上境界を記した現存最古の中国政府側の文献だ。同書は「釣魚嶼、黄毛嶼、赤嶼を次々と通りすぎ、見る暇もないくらいだった。・・・・・・古米山が見えた。これは琉球に属するもので、夷の人は舟上で歌い踊り、故郷への到着を喜んでいる」と明記している。当時の琉球人は釣魚島列島を過ぎ、久米島(姑米山とも。現在の沖縄の久米島である)に至って初めて自国に戻ったと考えていたのであり、釣魚島は中国の版図内だったのである。
夏子陽『使琉球録』(1606年)、汪楫『使琉球雑録』(1683年)、徐葆光『中山伝信録』(1719年)所収「琉球三十六島図」及び「琉球地図」、周煌『琉球国志略』(1756年)、潘相『琉球入学聞見録』(1764)、李鼎元『使琉球記』(1802年)も全て釣魚島が中国領であることを記録している。
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