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北京週報>>特集>>中日国交正常化40周年>>これまでの本誌の関連記事  
国交回復二十周年への想いと北京週報への期待

             福岡市 乾達雄

二十年のことを我が国では「ふたむかし」といいます。つまり日中両国の国交が回復して、もう「ふたむかし」になる、というわけです。

ところが中国で人民共和国が成立して、国交が回復するまで、やはり「ふたむかし」かかっているのですけれど、このことはもう思い出す人もいないでしょう。

でもこれは当時日中友好運動をやっていたものにとっては、ずいぶんと長い、しかも腹立たしい年月だったのです。

条約調印の日、ああやっとここまできた、という思いとともに「およそ正常でないものは、いつか必ず正常にもどる」という教訓を得たことを忘れません。

一九七二年十月三日発行の北京週報(第十巻第四十号)をひっぱり出して見ましたら、田中首相歓迎宴での周総理の挨拶が載っていて、周総理はこの中で「中国人民は少数の軍国主義分子と広範な日本人民とを厳格に区別してきた」という意味の言葉を述べています。

よく聞かされる言葉ですが、私はこれを聞くと、いつもなんとも知れぬくすぐったさと、一種の不安感とにおそわれるのです。或るいは多くの日本人は「成る程そうか、だからわれわれには何の罪も責任もないのだ」と思いこむおそれもありましょう。

私自身に例をとれば、私は二十四歳の春、中国に渡りました。一九三七年三月、蘆溝橋事件のはじまる少しまえのことです。

そのころの日本では、私の属する陣営は見る影もない有さまで、最後の力をふりしぼった「人民戦線」も迫りくる大弾圧の予感に、ただ足ぶみするだけの毎日でした。

勿論私は身の危険を避けて「亡命」を計るほどの「大物」ではありませんが、その「小物」の私にまで検挙の日程が組まれていることを教えてくれた人があり、私はこの人に伴われて北京へやってきたのでありました。

間もなく蘆溝橋が火を吹きました。

すくなくとも私は「革命家」を以て自任する青年だった筈です。その私が蘆溝橋の一件を耳にしたトタンに「これで日本資本主義の寿命は延びた!」と叫び、早速「バスに乗りおくれまい」とする行動に出たのですから全くお耻しい限りです。

およそ「軍国主義」も国を挙げて他国を侵略するということは、国民多数の加担がなくて出来ることではありません。そこに国家的、民族的な利益、引いては自分自身の利益をも見込んでの「国家エゴ。民族エゴ」ですから、決して一握りの指導者だけの罪に帰して済むものではない筈です。

もっともその後の私は一に中国人を敵視する気になれず、また「わが大陸経営」なるもののお粗末さも理解できて割合はやく「バス」から降り、もっぱら市井に埋もれてひたすら中国人の友となり味方となるべく心掛けたつもりでしたが、思えばこれもずいぶんと甘い考えだったと今では反省しています。

近くはイスラエルにしてもベトナムにしても、昨日までの自分の痛みを今日は平気で隣人に強いています。東欧諸民族間の殺し合いに至っては、相互の自滅を見守るのみか、という気さえする程です。

異民族間の争いは、まるで本能的なもののようですが、しかし個人と個人の間には格別敵対し合わねばならぬ理由などない筈です。

仔細に見ると利害の不一致をつくり出しているのは常に権力者で、紛争の火の手は必ずうしろでケシかけるものの手で燃え上がらされているのに気付きます。

お互いに「真実」を知れば、話し合うことも折り合うこともできましょう、そうすれば世界は目に見えて静かになるでしょう。

ここにこそ「報道」の任務の重要さがあると思うのですが、北京週報が世界平和のために勇気をもって「真実」を伝えて下さることを願う所以です。

東欧諸国の崩壊で「社会主義は時代おくれになった」と言われていますが、逆に私は近ごろ「唯物辯証法」の怖しいような正しさを思い知らされています。

よりよく生活したいとねがう人類のいとなみが、人類自体を刻々死滅に追いやりつつある、という「自己否定」の立証がまずそれです。

東欧諸国の崩壊は、その「民主集中制」の矛盾が然らしめたのだ、とも考えられましょう。

「東風は西風を圧す」と言われたころ、東の生産性はたしかに西側のそれを上まわっていたと思えます。

ベトナム戦の終わるころから西側の生産が爆発的に膨脹し、あらゆる消費物資が洪水のように世界中に溢れ出しました。

そのころ東欧諸国では「集中」が先行して「民主」が置き去りにされ、「支配階級」の復活が目に見えぬかたちで進行していました。

支配者の独善は経済を硬直化させ、大衆の意欲喪失は生産の停滞を生みます。そこにまばゆいばかりの西側の繁栄ですから、すでに本質的には社会主義ではなくなっていた東側の人々が崩雪のように「自由経済」へ傾いて行ったのは無理もないことだったでしょう。

でも西側の「繁栄」は、戦争で開発された大型破壊兵器を生産に転用することによってもたらされた、地球資源の大規模収奪と、つくり出される製品の無節制な濫費との上に咲いた「あだ花」で、遠からずしぼむものであることを知らねばなりません。

いま北京の街にも「先進国」に比肩して高層住宅が林立しています。

さきほど山西省を旅行して灌漑水路の老朽化を目にしました。地域の水利関係者は「資材もある。資金もある。労働力もある。ただ技術者が居ないのだ」と説明してくれましたが、これは以前「技術者」なしで、農民の手だけでつくったものではなかったのかな?と首をかしげさせられました。

近ごろの中国では、あまりにも「生産力」だけが重視されて「人間=人民」が忘れられているのではないか?という気がしてなりません。人民に賴り人民を立ち上らせるところにこそ「社会主義の優位性」はあるのであって、多少の「万元戸」をふやしてみても決して達成されるものではあるまい、と私には思えるのです。

北京週報は確かに美しく、見やすく、読みやすくなりました。けれどもなんとなく「歯ごたえ」がなくなりました。

「てまえ味噌」や「提灯記事」ばかりじゃないか、という人もいます。しかしこれは今にはじまったことではなく、また中国の国情からも仕方のないことでしょう。

ただ昔は中国に関する情報が得難かったので「明日の国づくりのための経験を学ぶ」とあって、宣伝であれ小提灯であれ、あますところなくむさぼり読んだのでした。

北京週報は、はじめ「理論誌」として創刊されたと記憶しています。たしか北京週報の創刊によって人民中国誌はその固い部分を北京週報誌にゆずり、思い切った大衆化を計ったのだと承知していましたが、今では両誌の内容にさした相違も見られなくなったように思います。

「理論誌」としての性格を維持してゆこうということには、いろんな困難がともなうことだろうと察せられますが、にもかかわらず私はやはり北京週報に「理論誌」としての一面を期待したいのです。

理論的な分析と批判とは常に人々を目ざめさせ、ふるい立たせることに役立ち、人民の敵を恐れさせ、悔いあらためさせることにも役立つかも知れないと思うのです。

「歯ごたえ」のある誌面づくりをお願いする所以です。

「北京週報日本語版」1993年No.39

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