本誌記者 魏民
両国間貿易
中日両国が国交を正常化して二十年、両国間の貿易には曲折や起伏があったが、全体的にはわりに大きな発展をとげ、ジグザクコースをたどりながら発展したといえよう(図表を参照)。
中国の対日貿易
(単位 億ドル)
年度 |
総額 |
|
日本への輸出(FOB) |
|
日本からの輸入(CIF) |
|
|
金額 |
前年比±% |
金額 |
前年比±% |
金額 |
前年比±% |
1972 |
10.39 |
18.9 |
4.12 |
46.0 |
6.27 |
6 |
1975 |
38.06 |
72.0 |
14.03 |
23.0 |
23.92 |
20.7 |
1976 |
30.40 |
‐20.0 |
12.23 |
‐13.0 |
18.17 |
‐25.0 |
1981 |
99.78 |
12.8 |
45.97 |
15.1 |
53.81 |
9.5 |
1982 |
86.09 |
‐13.7 |
48.61 |
5.7 |
37.48 |
‐30.4 |
1985 |
164.34 |
29.1 |
56.09 |
4.8 |
108.25 |
46.8 |
1986 |
138.59 ※(172.00) |
‐15.7 |
48.60 ※(47.64) |
‐22.3 |
94.99 ※(124.36) |
‐12.6 |
1988 |
189.79 |
15.2 |
79.22 |
23.8 |
110.60 |
9.8 |
1990 |
165.87 |
‐12.2 |
89.99 |
7.6 |
75.88 |
‐27.9 |
1991 |
202.83 |
22.3 |
102.51 |
13.7 |
100.32 |
32.2 |
注: 1985年までの数字は中国対外経済貿易部の統計による。
1986年以降及び※のついた数字は中国税関の統計による。
九一年の両国間の貿易額は前年比二二·三%増の二百二億八千三百万ドルに達し、七二年の国交正常化時の二十倍に相当する。日本は七〇年代からずっと中国の最大の貿易パートナーとなった。日本の対外貿易のなかで対中貿易は対米貿易に次いで二位だったが、近年、日本の対外貿易に占める中国の地位はさがり、六位となっている。
北京松下カラーブラウン管有限公司の職場
貿易の発展につれて、双方の商品構成も改善されつつある。長いこと、両国間貿易の商品構成には大きな違いがあった。一九八六年を例にとると、中国の対日輸出では、原油、石炭、農·副産物及び原料を主とする初級製品が六三%を占め、加工完成品(主に織り物、アパレル、工芸品および少量の化学工業製品)は約三〇%を占めた。ところが、日本の対中輸出はすべて完成品で、そのうち鋼材が三〇%、機械設備と車両などが五〇%、化学工業製品が八·三%、織り物と軽工業製品が九%を占めた。それは八七年以降しだいに改善され、九一年の中国の対日輸出の一次産品はわずか四一·九%、工業製品及びその他の完成品が五八·一%を占めるに至った。商品構成の改善は中国の改革·開放と中日経済協力の進展及び貿易発展のたまものであり、それは今後の貿易と経済協力の持続的な拡大に役立つであろう。
日本の対中輸出はこの四年来増えたり減ったりしているが、全体としては停滞状態にある。九一年は八七年と比べ四·二%の伸びにすぎなかった。これは、中国がこの数年経済の調整を進め、輸入がそれほど活発でなかったという要因もあるが、日本側がアメリカにぴたりと追随して「ココム」の規定を厳格に実行し、ハイ·ニューテク製品の対中輸出と技術移転を制限したことも、無視しえない一つの重要な原因である。
経済技術協力
一九七九年以降、日本の対中経済協力は形式が多様で、分野が広くなった。日本政府が発展途上国に対して行っている開発援助の中では、中国が八六年まで一位を占め、八七年以降はインドネシアに次いで第二位となり、その最大の被援助国の一つとなっている。それは主に次のようなものである。
一、政府借款。現在までに、日本政府は中国に対し前後三次にわたって建設プロジェクト借款供与を約束した。その額は、それぞれ三千三百九億円、四千七百四十億円、八千百億円、期限はいずれも三十年で、十年の猶予期間がつき、利率は三%で、最高時が三·五%、最低時が二·五%となっている。第一次円借款プロジェクトはすでに予定通り完成し、第二次円借款プロジェクトの大部分も予定通り完成し、一部が建設中である。第三次円借款プロジェクトはすでに按配を開始し、建設中である。
二、エネルギー借款。一九七九年以来、日本輸出入銀行は中国銀行を通じて中国エネルギー部門に対し、三次にわたり、石炭·石油資源開発のための借款供与を約束した。それらは、それぞれ四千二百億円(二十億ドル)、五千八百億円(二十四億ドル)、七千億円(五十億ドル)である。第三次借款協定は今年六月に締結された。期限はすべて十五年で、利率は商業銀行借款より低く、政府の円借款より高い。
三、無償資金協力。八一年から九一年までに、日本政府は中国に五億ドル弱、計五十余のプロジェクトを実際に提供し、そのうち四十余のプロジェクトはすでに完成し、稼働している。無償資金協力の特徴は、建設スピードが速く、業種範囲が広く、関連する省·区が多く、社会効益がよいことである。その主なものは、中日友好病院、中日青年交流センターなど。
四、直接投資。昨年末までに、日本が中国に投資して設立した「三資」企業は千九百九十五社で、投資額は契約ベースで四十一億二千四百万ドル、実際投資額は二十八億六千七百万ドルである。それらが、外国業者の対中投資総数(四万一千九百九十五社)と契約ベース総額(五百二十二億二千七百万ドル)に占める比率は七·九%と四·七五%で、香港地区とアメリカに次いでいる。
大連経済技術開発区に設立された日本の全額出資企業マツダ有限公司
五、その他の資金協力。中国銀行、中国国際信託投資公司及び各省·市の信託投資公司は、日本金融市場で何回も円債券とドル債券を発行した。日本の銀行団と民間銀行も中国銀行などの金融機関に円借款とドル借款を供与し、また、プラントの取引きで延べ払い方式によって売り方あるいは買い方に信用貸付けを提供するなどしてきた。
六、技術貿易協力。中日両国の技術貿易はかなり早くから始まった。国交正常化前には中断したことがあるが、八〇年代以降は発展がかなり速く、項目もわりに多く、金額もわりに大きくなった。にもかかわらず、ここ数年来、西側諸国の中で日本は序列が上がらず、九一年にはイタリア、イギリスに次ぐ第三位で、その後にぴったりとついているドイツがすぐにも日本を追い越す形勢にある。こうした状況は日本側の注意を引くに値いするもので、中国側から言えば、もちろん改善を強く望むところである。
展望
中日両国の経済貿易関係は相互補完性があり、お互いに必要とするものがあり、一面的なものでなく、一方的な需要でもない。今後は双方の間の貿易と経済技術協力を拡大するため、新しい道を求め、切り開かなければならない。
富士銀行北京駐在員事務所の五味修所長と中国人OL
中日両国間の貿易額が絶えず伸びている趨勢から見て、両国間貿易額が中国の対外貿易総額に占める比率を、二〇〇〇年までに現在の約一五%から七五年の約二五%に回復させることは不可能ではない。この目標を達成するカギは、両国間の経済貿易協力を絶えず拡大できるかどうか、「ココム」の制限を解除できるかどうかにかかっている。
「北京週報日本語版」1992年No.39
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