五
最近の一時期、日本側がつぎつぎとひき起こしている問題は経済の範囲をはるかにこえている。そのため、中国政府と人民の抗議、非難、批判をかう事件が増えてきている。外交当局を含め一部の日本人は、中国のこうした態度は外交問題で人びとの内政問題への視線をそらすためのものだと言い、さらには日本に政治的圧力をくわえて、経済面で譲歩させ、中国への投資、援助を多くさせようとするためであるとさえ言っている。それが誤解から出たものでなければ、なにかの下心をもったものだと言わざるを得ない。とくに光華寮問題で「二つの中国」または「一つの中国、一つの台湾」を公然とつくり出していることによく現れている。日本外務省の官員は、これは中日共同声明と平和友好条約に違反するものであることをよく知っているはずである。なぜなら、かれらのなかには、この二つの文書についての交渉と起草に直接参加した人もおり、そのときの責任者であった人もいるからだ。今日に至っても、口先では「一つの中国」の原則を貫かねばならないとくりかえしているが、実際の行動ではこれに背くことをやっている。時代が変わるのか―人びとはこのように問わざるを得ない。一部の人は、日本の経済力が強大になったので、ふたたび世界に覇を唱え、次の世紀に世界一になり、中国であろうが、発展途上国さらには一部の先進国であろうが、みな日本にすがることになると考え、横車を押すまでに傲り、最低の外交礼儀もわきまえないことまでをしている。これは人びとに日本の戦前の外交を思いおこさせさえしている。かれらのこうした言行は決してかれら自身から出たものではなく、それには大きなバックがあるようだ。だから、社会では反中国的行動がつぎつぎと現れ、中国大使館前で反中国を大声で叫び、周総理記念詩碑や友好記念物を破壊する暴挙があいついで起こっているのである。これは中国人民の感情をひどく傷つけるだけでなく、日本の現在と将来にとってもよくないことである。十億人民の中国は外国の経済·技術援助を無条件でうけるようなことはしない。巨大な資金と商品をかかえる日本が投資と市場を必要としないとでも言うのだろうか。西側世界で、日本は一番先に、世界に「大恐慌」がおこるだろうと予言している。それならこのような危機にだれが耐えられるか試めしてみるのもよいだろう。現在、中日関係に現れたいくつかの問題が解決されなければ、中国は当然のことながら中日共同声明、平和友好条約の原則を貫き、道理にかなった闘争をつづけていく。これは中国の内政および中国が経済援助を求めることとはなんら関係がない。信じられないなら、事実をみてもらいたい。われわれは辛抱強さと気力をもっている。
中日国交正常化以来すでに十五年があわただしく過ぎさった。過去と比べてみると、この十五年間はすばらしかったと言える。問題は少なくないが、中日両国とも共同声明、平和友好条約の原則にのっとって解決することを願っている。論争がおこるのは正常なことだと言うべきである。中日両国人民は歴史の大河からみると互いに学びあって発展してきたのである。もちろん世界からも学んでいるが、中日両国のあいだで互いに知恵をかりいれていることが一番多い。中国人ができることは日本人もでき、また日本人ができることは中国人もできる。自分だけが賢明で、他人はだめだというような考え方は根拠がない。もしそうなら、日本が今日のような地位を得ることができただろうか。平和·友好の環境のなかで、平等互恵、長期協力をおこなってこそ、相互に信頼することができるのである。真の意味での「共存共栄」は、中日両国人民だけでなく、隣国の人民、世界の人民とともにめざさなければならない。中日両国人民は全人類の立場に立って、互いに援助しあい、アジア·太平洋地域と世界の各国にしかるべき寄与をすべきである。これからの十五年間を展望するなら、中日関係がより発展すると信じる理由がある。なぜなら、両国の大多数の人びとは歴史的経験から友好的でなければならず、友好的でなければどちらにも不利であることをきっと理解するだろうからである。
中日両国人民は世々代々友好的につきあっていくべきである。
(筆者は元中国中日備忘録貿易弁事処駐東京連絡処首席代表、元中国外交部第一アジア局長、元中国駐バングラデシュ大使)
「北京週報日本語版」1987年No.37
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