宮城県日中友好協会事務局長 高橋 節夫
日中国交正常化から二十五年が経過した。日本は敗戦国であるにもかかわらず、新中国を認めようとはしなかった。日中友好協会は民間団体として一貫して両国の国交正常化のため努力してきた。一九七二年九月二十九日日中両国はついに共同声明を内外に発表し、両国民の願いは達成された。それから六年後両国の間で平和友好条約が締結され、我々はこのまま両国関係が平和的に発展して行くと思っていた。
だが、日本国内には歴史に逆行する現象も現れてきた。教科書問題では「侵略」を「進出」と書き改め、中国、韓国から激しい批判を浴びた。これは当たり前のことである。日本軍隊は頼まれもしないのに無理やり武力にものをいわせ中国の領土を侵し、三千万の中国人民の生命を奪った。
彼らは日中両国関係の発展を妨害するため、侵略戦争の歴史を美化し正当化しようとしている。これらは歴史事実を粉飾するばかりか歴史問題を正視している人々を攻撃し「民族自虐症」とか「歴史自虐症」に罹っていると放言している。彼らは「民族精神」に訴えて古びた過去の「民族優越感」を持ち出し、戦争を知らない若い世代の人々をひきずり込もうとしている。更に「自由主義史観」を提唱する藤岡信勝東大教授一派は、「従軍慰安婦」問題を教科書から削除する活動を始め、「新しい教科書をつくる会」を発足させた。
また、田辺敏雄は昨年発行の雑誌「正論」で「沈黙が支える日本罪悪史観のウソ」と題する評論の中で最大の根拠は「中国帰還者連絡会」(中帰連)の出版物「三光」·「新三光」·「天皇の軍隊」にあると主張している。
「中帰連」とは日本敗戦後シベリアに五年抑留され、その後中国の戦犯となって六年間中国撫順戦犯管理所に抑留され、侵略戦争とその中での自分の行動を認罪し、中国の寛大政策によって帰国した者達の団体である(筆者もその一人である)。
撫順戦犯管理所における中国の態度は、私たちの思惑とは裏腹に極めて人道的に取り扱ってくれ、その処遇態度には頭が下がる思いであった。我々の出版物は強制の下に書かれた物ではない。強制の下に書かれた物ならば、帰国後敢えて書く必要はない。我々は過去の侵略戦争を憎み、過去の自分を憎むが故に、我々が日中友好の道を破壊したため「侵略戦争に反対し、日中友好のため活動する」のである。
アジアの平和の為に、日中友好を更に押し進めるため、相互の意思疎通を図ることは、過去の過ちを二度と繰り返ささないために、大変必要なことと思う。我々は歴史に学ぶ事を忘れてはならない。私はまもなく八十一歳を迎えようとしているが、このことは私の生命のある限り持ち続け、実践して行く覚悟である。
日中国交正常化二十五周年を迎えるに当たり大事にしなければならない節目と考えている。
「北京週報日本語版」1997年No.39
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