▽約3万人の日本人が抗日戦争写真展に来場
沙飛氏はこのほかにも、「ベチューン医師、八路軍の負傷兵を救う」「古長城での戦闘」などの貴重な写真を残している。
来住会長は、沙飛写真展の見学を終え、「戦争とは残酷なものだが、これらの写真はヒューマニズムに満ち溢れている」と感想を漏らした。日本沙飛研究会は、2008年から日本で「沙飛写真展」を開催している。これまでに東京など30都市で巡回展を開催、2万7千人以上の日本人が来場し、日本国内ですこぶる大きな反響を呼んだという。
来住会長はさらに「多くの日本人大学生が、沙飛氏の写真を見て、日中友好協会の会員になりたいと言ってきました。写真展の開催規模はまだ十分ではありません。より多くの日本人に観てほしいと思っています」と今後の抱負を述べた。
<解説>聶栄臻と日本の少女
百団大戦が繰り広げられていた1940年8月中旬、山西・察哈尓・河北軍区の一分区三団一営の兵士らが、河北省石家荘市井上ヨ鉱区の戦いの中、日本の少女2人を救出した。
同軍区の指揮をとっていた聶栄臻元帥は、この2人の世話を焼き、爆撃で足を負傷していた1人に治療を施した。その後、聶栄臻元帥は2人が日本に帰国できるよう、現地の農民に日本の兵営まで送らせた。(編集KM)
「人民網日本語版」2012年5月8日
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