黄河の中を行く喬喬さん(右)と助手 (撮影碻佳)
危険は映画の中以外にもある
長期間にわたる黄河流域での撮影は、喬喬さんの品性を磨いた。生命の危険にさらされた時でさえ、同じ年頃の若者にはない冷静さと沈着さを保つことができるようになった。
撮影中危険に遭遇するのは日常茶飯事で、命の危険に何度さらされたかも覚えていない。「2011年の黄河『調水調沙』(水門を開いて大量の水を流し下流に堆積した砂を海まで押し流す作業)の時には、大量の水がすごい勢いで押し寄せ、川原に見る見るうちに水が迫ってきました。一瞬のうちに、撮影していたひな鳥の巣が流されてしまいました。かえったばかりのひな鳥は水に流されたらきっと死んでしまいます」。喬喬さんは気が気ではなかった。心配していたのは流されてしまった巣ではない。巣の中のかえったばかりの3つの小さな命だ。「もう夜で、懐中電灯も持っていませんでした。何かあったら迎えに来てくれるように船の手配をしていましたが、船はいっこうに現れません。助けるか、助けないか?僕は心の中でずっと葛藤していました。でも助けるとしても、まず数十万もする50キロの器材を岸に移すことが前提でした」。
事態は急を告げていた。喬喬さんと助手には器材を移す時間はもうなかった。助手の説得を振り切り、喬喬さんは心を決めた。そして水の中を100メートル以上も走り、3羽のひな鳥を救ったのだ。「水は腰のところまで来ていました。僕たちは小鳥と器材を持ち上げて、懸命に岸に向かって走りました。あの時の情景はまるで映画のワンシーンのようでした。生きようとする欲望は死に神の前でもどれだけ強烈だったことか!生死の境目になるような試練を経験していない人には永遠に体感できないかもしれません」。
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