産業の高度化、人民元の国際化、インフレ、資産価格の高止まり……。これらは全て、日本の80年代でも起きたことである。日本大学EMBA終身教授で日本経済技術国際推進会理事長の李克氏に、日中両国の経済発展過程におけるマクロ政策について話を聞いた。
記者:大規模な外貨準備高によって生じるリスクの対応について、日本から学べる方法はあるか?
李克:我が国以前も、外貨準備は国家の経済発展にとって重要な要素だった。しかし過度な外貨準備高は中国経済にとって福音とはいえず、ある部分では負の作用を引き起こす。日本では1980年代にそれが発生しており、大量の外貨準備高が国内の資産バブルをもたらした。現代の中国でも同様なことが生じているように見える。
対外投資や企業の海外進出を支援したり、民間投資の多元化や国際化を後押ししたりすることで、多くなりすぎた外貨準備高を分散するべきだろう。
記者:石油危機以降、日本では「産業の高度化圧力」と「円高」という二重の圧力にさらされた。この二つの選択は本来矛盾しているものだが、現在の中国の状況と似ているように思える。
李克:「プラザ合意」での教訓は、人民元高を考えるにあたって非常に参考になる。円が上昇しているとき、日本経済はまさに高度成長の時代だった。常に上昇する円は、当時の日本の製造業にとって大きな圧力になっていたと同時に、デフレ圧力にもなっていた。そのため日本銀行は金融緩和政策を実施した。一般的にこのような政策は、投資と消費を促進させる。しかし当時の日本は、それによって巨大な資産バブルが起こり、円がさらに高騰した。そして国際資本がそれに拍車をかけることになった。
1980年代のプラザ合意以降、円は急速に高騰した。これは事実上、1990年代不況の導火線の一つとなった。そのため、人民元の上昇政策はおおむね正しいものの、その速度はコントロールすべきだ。急激な上昇はよくない。
|