Imprimer cet article

Commenter cet article

本誌の辛亥革命関連報道  
孫中山―堅忍不抜、百折不撓の革命家

 

不平等条約のもとで、以前、中国の税関はみな外国人に支配されていました。広州護法政府が税関を接収·管理したとき、イギリス、アメリカ、さらにはポルトガルが軍艦をさしむけて珠江へ侵入させ、砲撃をもって、脅迫してきました。しかし、孫中山はびくともしませんでした。かれは英米の水兵によびかけ、英米政府の正義にそむく行為を暴露し、かれら自身の祖先もかつては圧政に抵抗してたたかったということを指摘しました。かれは、水兵たちの良心をよびさますために努力したのです。かれはアメリカの水兵に向かって、きみたちは「代表権がなければ、税をおさめない」という原則を忘れてはならない、きみたちの祖先はかつてボストン湾でイギリス人からおしつけられたインド茶を海へなげ捨ててしまったということを忘れてはならない、といいました。わたしの記憶によると、これはかれがみずから英語で書いた最初の宣伝ビラでした。宣伝ビラをまいたかどで、イギリスの領事が中国政府の所在地へ抗議にきましたが、孫中山はきびしくしかりつけました。

当時、北方では奉天、直隷両派の軍閥が交戦し、たがいに殺しあっていました。孫中山は、ただちに軍隊を動員し、ふたたび北伐する準備をととのえました。馮玉祥は、軍閥「総統」の曹錕を打倒したのち、ともに国事を相談したいと、孫中山の北上を要請しました。孫中山はこの要請に応じましたが、天津に到着してから、まもなく重病にかかりました。病床にあったかれは、当時、北京を占拠していた軍閥段祺瑞の代表と会見しました。ところが、段は、北方軍閥が孫中山の参加を要請した円卓会議の席上では反帝に触れないということをかたくなに主張します。孫中山は怒りをおさえきれず、そんなことなら、「統一」会議を主宰するよりも広州へ帰った方がよいと表明しました。かれは、不平等条約の破棄と帝国主義侵略への抵抗が会議のおもな議題でなければならない、といったのです。これは、かれが北上する前に英字紙『カントン·ガゼット』の記者への談話のなかで公然とはっきり宣言した立場と完全に一致するものです。かれはその談話のなかで、「帝国主義……は、わが国が独立と自由を実現するうえでのおもな障害であるだけでなく、反革命勢力のなかのもっとも大きな要因である」といったのでした。

ちょうどこのとき、かれの肝臓病はますます重くなって、北京にはいったときには、もう歩けなくなっていました。そして一九二五年三月十二日、不治の病が孫中山の命を奪ってしまったのです。亡くなる前、かれは自分の革命事業をうけつぐ人たちに遺訓をのこしました。ところが、国民党の右派と帝国主義の代理人の総元締である蔣介石は、一九二七年にかれの遺訓をうらぎりました。それいらい、これらの裏切り者は歴史の罪人になってしまったのです。かれらは、ひきつづき人民をおさえつけ、内戦をひきおこし、中国人民の解放を二十数年もおくらせ、しかも日本軍国主義とアメリカ帝国主義の侵略をまねいて、国家の富にはかり知れない損失をこうむらせ、数えきれないほどの祖国の息子や娘たちにそのとうとい命を失わせたのです。かれらは、アメリカ帝国主義にいまなおわが国の領土台湾を占領させています。

孫中山の遺訓は、その三民主義と三大政策にほかなりません。これは、かれが中国の反帝·反封建のブルジョア民主主義革命の完遂に力をつくす過程で発展させたものです。毛主席はかつて、ここ百年来、帝国主義が中国を圧迫してきたが、中国人民はずっと抵抗を堅持してきた、「だが、孫中山先生から比較的に明確なブルジョア民主主義革命がはじまったのである」(『青年運動の方向』)といっています。毛主席は、孫中山の貢献を正確に評価し、辛亥革命は「勝利した点もあれば、失敗した点もある」と指摘しています。勝利したというのは、宮廷制度を廃して皇帝を追いはらったことであり、失敗したというのは、帝国主義と封建主義を追いはらわなかったことであります。孫中山はこの点をわきまえ、革命をつづけることを要求していました。かれはその遺嘱のなかで、「革命なおいまだ成功せず、同志よさらに努力せよ」といっています。

孫中山は、生涯をつうじて、革命をおしすすめるのに力をつくしました。この点は、こんにちでもやはりわたしたちが学ぶべきことです。世界の三分の二の人民がまだ解放をかちとっていないのですから、わたしたちは、かならず帝国主義に反対する革命闘争を堅持し、社会主義と共産主義を建設する革命闘争を堅持して、わが国各分野の現代化を実現し、科学の高峰によじのぼるよう努力しなければなりません。孫中山の革命にたいする抱負は中国にとどまるものでなく、かれは各国の反帝革命にとくべつ注意をはらっていました。一九〇〇年いらい、かれはアジア諸国の民族革命の志士、たとえば、イギリスの支配に反対するためにたたかっているインド人とビルマ人、日本の支配に反対する朝鮮人、フランスの支配に反対するベトナム人、オランダの支配に反対するインドネシア人、それにフィリピンでアメリカ帝国主義に抵抗するアギナルドやその他の愛国者と密接な連絡をたもっていました。同時に、かれはまた、第一次世界大戦の時期にヨーロッパの労働者は帝国主義の目的のためにたがいに殺しあってはならないと呼びかけたため暗殺されたJ·ジョーレスなど、ベルギーとフランスの社会党員とも連絡がありました。かれがこうしたつながりをつけたのは、すべて、中国と各国の革命に役だてるためでした。外国の友人は、借款、通信連絡、兵器·弾薬の購入·輸送などの行動で孫中山の革命事業を助けましたし、孫中山も財政その他の面でかれらの事業を助けました。孫中山とレーニンの友情、そのみのりゆたかな文通と協力については、すでに前述したとおりです。

   前のページへ   3   4   5   6   7   8   9   10   次のページへ  

北京週報e刊一覧
トップ記事一覧
日本留学生活の驚き・感動・困惑・矛盾
「天宮1号」を打上げる任務が成功に完了
強化が待たれる多国籍企業の現地監督管理
中国都市発展と「中間所得層」
特 集 一覧へ
中国共産党創立90周年
チベット平和解放60周年
現代中国事情
中国の地方概況
· 北京市  天津市 上海市 重慶市
· 河北省  山西省 遼寧省 吉林省
· 黒竜江省 江蘇省 浙江省 安徽省
· 福建省  江西省 山東省 河南省
· 湖北省  湖南省 広東省 海南省
· 四川省  貴州省 雲南省 陝西省
· 甘粛省  青海省 台湾省
· 内蒙古自治区
· チベット自治区
· 広西チワン族自治区
· 新疆ウイグル自治区
· 寧夏回族自治区
· 澳門特別行政区
· 香港特別自治区