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本誌の辛亥革命関連報道  
孫中山―堅忍不抜、百折不撓の革命家

 

孫中山は中国の歴史をよく知っていました。かれは封建制度のもとにおける搾取者と被搾取者について、はっきりした見方をもっていました。

馬湘[注释3]はその思い出をこう語っています。一九一六年、上海にいた頃のことですが、「あるとき、先生について愚園路まで歩いていくと、先生はふと道の両側にならんでいた洋館をさしてこういわれたのです。『ごらん、愚園路のこのあたりは以前墓地だったのに、いまでは豪華な洋館がたっている。これらの洋館はみんなわが国の軍閥がたてたものだ。かれらは地方に割拠し、重税をとりたて、アヘン窟やとばく場を開き、悪事のかぎりをはたらいて、人民をしぼったあげく、ここへ来て洋館をたて、妾をかこい、マージャンをうち、洋酒を飲み、ご馳走を食っている。そのため、労働者と農民は食うに食われず、着るに着られないありさまだ。これでは、中国は滅びるにきまっているではないか。だから、われわれは軍閥を打倒しなければならないのだ』」[注释4]。

一九二一年十月、孫中山は広西の南寧へ視察に行ったとき、ある大衆集会でつぎのように語りました。「革命とは労働者、農民および各分野の人びとの生活をよくするためのものだ。……あなたがたは主人で、省長は召使いである。召使いは、かならず主人が満足のいくようにしなければならず、それでこそ、よい省長、よい召使いといえる。いま、馬(君武)省長は、まず方法を講じて、陸栄廷、譚浩明など本省の軍閥が上海の外国銀行にあずけてある現金を引きだし、省内にあるかれらの財産といっしょに、みんなに分けて、みんなが服を着、靴がはけるようにしなければならない」[注释5]。

一九二三年、広州にいた頃のことですが、ある日、白雲山に行くと、破れた服を着た農民がかれのあとについてきます。孫中山はこの人たちに向かってこういいました。「わたしは、さっき麓の付近の村を見てきたが、かやぶきでなければ、泥壁の小屋ですね。あなたがたの暮らしはゆたかでないでしょう。その原因は地権制度がよくないことにあります。つまり、田を耕す人が毎年たくさんの小作料を払わなければならないことにあるのです。わたしはきっとこの問題を解決します」[注释6]。

かれの個人生活が質素なことをみても、孫中山の偉大さの他の一面がよくわかります。かれは家ひとつ買ったことがありません。上海に住んでいた頃は、さいしょ環竜路六十三号に住んでいましたが、それは借屋でした。そのご、いま中山の故居とされているモリエール路二十九号に引っ越しましたが、この小さな家も、華僑の国民党員から贈られたものです。

上海の永安公司は、オーストラリアの華僑が開いたものです。あるとき、郭彪というそこの支配人が、人をよこして孫中山に皮のオーバを送ってきました。当時このことを孫中山に報告した馬湘は、つぎのように思い出を語っています。「これをきいた先生はびっくりしてこういわれました。『上海はそれほど寒いとはいえないし、広東へ帰ればあたたかい。それに、わたしは北方へ行かないんだから、これを受けとるわけにはいかない。きみがかれのところへ送り返してきてほしい』」[注释7]。二日たってから、郭彪が孫中山にあいにきました。孫中山はかれの好意に感謝しましたが、自分にはこのようなぜいたくな贈り物を受けとる理由がないと、はっきりいいました。

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