ダライ・ラマ(14世)は自らの「転生」を特に気にかけ始めている。なにぶん次第に年老いてきたのだから、死後の事に心を寄せるのは心情的には許せる。ただ問題は、話せば話すほど常軌を逸し、宗教から遠ざかっていくことだ。役者の芝居のように真偽がわからず、政客の話のように是非が弁別できない。(文:曹世木・中華宗教文化交流協会宗教学教授。人民日報海外版コラム「望海楼」掲載)
ダライ・ラマはぺちゃくちゃと喋り続けている。最初は転生を止めると言い、次には生きたまま転生をすると言い、かと思えば転生者を自ら指定すると言い、さらには国外で転生すると言う。ロシア紙「独立新聞」(11日付)は、米国をこそこそ訪問中のダライが「必ず海外で」「自ら後継者を選ぶ」と言明したと伝えた。
決まりがないと何事もうまくいかない。活仏の転生にも当然その決まり「宗教儀軌」がある。活仏の転生はチベット仏教の一部教派に特有の継承方式だ。「生き仏」である以上、歴史的経緯に照らし、信徒の支持を得るとともに、中央政府の保護する宗教儀軌によって決定されることが特に必要だ。宗教儀軌を勝手に踏みにじり、滅茶苦茶なことをしてもまだ信じる者がいるだろうか?
活仏転生の宗教儀軌とは何か?1653年に順治帝がダライ5世(ダライ・ラマ5世)を冊封して以来、歴代ダライ・ラマの転生は中央政府の冊封を経なければならなかった。1872年、清朝政府は金瓶掣籤制度を施行した。北京の雍和宮には今も清朝乾隆年間の石碑が建っている。石碑にはダライの言葉として当時の活仏転生制度の執行過程には誰もが親族を転生者に選ぶ深刻な弊害があったことを説明し、「転生霊童」の輩出により一族を引き立てるのでは「世襲の爵位・俸禄と何が異なるのか」と指摘。金瓶を西蔵(チベット)に送り、複数の候補の名を記した札を中に入れ、くじで引いて選ばせることになった経緯が刻まれている。
活仏転生の宗教儀軌はこうして完成した。(1)先代ダライの死後(人は死なずに「転生」はできない)、活仏と高僧が捜索隊をつくる(2)宗教儀軌と手順に従い、転生霊童を探し、その中から金瓶掣籤に参加する候補児童を選出する(3)候補児童について中央政府に報告し、承認を得る(4)中央政府の派遣官の下で金瓶掣籤を行う(5)金瓶掣籤により認定された児童について中央政府に報告し、即位の承認を得る(6)中央政府の派遣官の下で転生霊童の即位典礼を行う。この中で特に重要なのが金瓶掣籤だ。これは中央政府の冊封権を堅持するともに、宗教的には釈迦の「法断」を体現している。様々な妨害を排し、偽物を本物と偽って私利を謀る悪習を根絶し、数多のチベット仏教信徒を信服させるうえで有益だ。
だが、ダライ・ラマはどうしたのか。歴代ダライ・ラマが伝え、従ってきた宗教儀軌に背いてよいのだろうか?ダライ・ラマは仏陀の言葉をあれほど多く語っているが、仏教の開祖・釈迦が輪廻の渦に巻き込まれず、苦しみから解脱するよう衆生を教え導いたことを覚えているのだろうか。いかにして苦しみから解脱するのか?釈迦は自我への執着が苦しい輪廻の根源だと考え、執着する自我を捨てる必要性を説いた。
祖国分裂に固執するダライ・ラマよ、自らが生きている間に、限りある間に、執着する自我を捨てることができるのか?転生のために苦悩しているダライ・ラマよ、自分はどのような輪廻・解脱を望んでいるのか?(編集NA)
「人民網日本語版」2011年7月18日
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