■14座の登頂
世界には海抜8000メートル超の独立峰は14座あり、アジアのヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に分布している。イタリア人のラインホルト・メスナー氏が70年に14座の挑戦を始めて以来、単独でこの壮挙を達成した世界の登山家は少なくないが、登山隊による達成はむしろ極めて難しい。
中国は92年に「8000メートル以上の高峰14座を登攀する探険隊」を組織、ツェリン・ドルジェさんが隊長という重任を担うことになった。93年4月26日、隊の友人とともにアンナプルナ峰の登攀に成功。07年7月12日には、五星紅旗(中国国旗)が世界11位の高峰・ガッシャブルムI峰に翻った。この14年間、チベット登山隊は14座をすべて制覇し、グループでこの目標を達成した世界唯一の登山隊となった。
高峰を征服する苦難と危険は想像を絶する。不幸にも事故に遭った隊の友人ことを思うと、ツェリン・ドルジェさんは今でも非常に悲しくなると言う。
友人について、彼は「隊員は家族よりもずっと親しい間柄です。登山は自分たちだけが頼り。親戚や友人、ひいては父母ですら、最も困難な時にわたしたちを手助けすることはできません。いったんラサを離れたら、6500メートル以上の高山に行けば、困難があれば互いに助け合うのです」と話す。
05年5月27日、探険隊が山間部を進んでいた時に突然、石が転がってきた。友人のリンナ(仁那)さんは不幸にも難を逃れることができず、亡くなった。
07年7月12日、12時20分、ツェリン・ドルジェさんはリンナさんの遺骨を持ち、2人の隊員とリンナさんの妻ジジ(吉吉)さんとともに、最後の高峰であるガッシャブルムI峰に登った。頂上で、涙を抑え切れないツェリン・ドルジェさんはひと言「わたしたちは成功した」と言った。
■共産党に加入
04年10月、ツェリン・ドルジェさんは光栄にも中国共産党に加入した。「早くから入党の思いはあったのですが、仕事でしょっちゅう山に登っていたので。隊では大半が党員です。中国共産党の指導がなかったら、私たち登山隊の発展もなかったでしょう」
08年、彼は五輪の聖火をチョモランマ峰に運ぶチャンスを進んで放棄。世界的に注目されると感じていたが、成功させるため、むしろ党員として若い隊員を聖火ランナーにすることを望んだ。自身は7000メートルの以下のところで後方支援に徹した。
チベット登山隊が特別に備える優位性について、ツェリン・ドルジェさんは、現在も将来も、人びとのために、そして社会のために尽くすことだと話す。
登山隊の高山トレーニング基地がヤンパチェン(羊八井)にある。主峰をめざす登山愛好家たちはそこで申し込めば、登山テクニックや注意事項を学ぶことができる。「登山は勝手気ままな遊びではなくて、集団行動です。チームに4人いれば、協力しなければ、必ず危険に遭います」と強調。
この数年、登山活動は比較的少ない。登山隊は午前中に一般的な知識を学び、午後はトレーニングを行い、厳しさに耐えうる体づくりに励んでいる。
次の計画について聞くと、ツェリン・ドルジェさんは、高山救援隊を組織することだと言う。専門のチョモランマ峰高山救援隊は今のところ中国はむろん、世界にもない。「登山している間、天候が急に変わって雪崩に遭ったり、酸欠になったりすることがあります。ヒマラヤでは毎年、登山中に危険に見舞われる人がいるので、このような救援隊は必要です」。今のところ、ツェリン・ドルジェさんは名目上の副隊長。だが、高山救援隊はじき設立されることになっている。
「北京週報日本語版」2011年7月14日 |