チベット文化と中華文化の融合
――中国チベット文化保護・発展協会の秘書長として、チベットの伝統文化をどう評価していますか?
チベットの伝統文化は中華民族伝統文化の重要な構成部分だ。何千何百年来、チベット文化と中華民族文化は分かちがたく1つに溶け合ってきた。とても簡単な例を挙げよう。ラサに着いて、ポタラ宮や有名な寺院の金色の大屋根や斗拱建築様式を見たり、チベットの絵画、舞踊、彫塑、ひいては医薬、暦算、宗教などを見たりすれば、何千何百年来の中華民族文化の深い影響がはっきりと分かる。同様に、北京の雍和宮や承徳の外八廟、五台山の菩薩頂にもチベット伝統文化の中華民族文化への大きな影響が見られ、チベット文化も中華民族文化に新しい内容や様式といった新たな血を注ぎ続けてきたことが分かる。
チベット伝統文化はまた、中華民族伝統文化においても非常に特色ある一部分である。雪に覆われた高原の特殊環境や、この環境下でチベット民族が作り上げた独特の精神性、さらに南アジア亜大陸文化の吸収により、チベット伝統文化には極めて鮮明な地域特色が生まれた。
――チベット伝統文化と社会主義新文化との間にはどのような関係がありますか?
今日の中国の特色ある社会主義建設の新時期において、伝統文化は社会経済の発展にともなって必然的に発展する。これは文化現象に普遍的な法則である。今日のチベット伝統文化も、時代の進歩と人々の全体的な物質生活水準の向上にともなって、発展し進歩していくのは必然で、いつまでもまったく元のままで変わらないはずはない。
旧時代に生まれたチベット伝統文化には必然的に旧時代の烙印が押されており、封建農奴制に関連するものもある。これらはきっと時代の発展とともにすっかり改められていくだろう。一方で、進歩的で、向上した、歴史の進む方向に合ったものが必然的に継承され発揚されていくべきである。
西側諸国には、旧チベットの旧文化をこの上なく神聖なものと考えて、少しも変えてはならないと言う人も一部いるが、実際にはチベットを封鎖し閉じ込めて骨董品にしてしまい、チベット人民を文化的に立ち遅れた、ひいては愚昧な状態に永遠に留まらせ、それを鑑賞して、自分たちのほうが心理的に高いところにいるような感覚を味わいたいのだ。ダライ・ラマ集団は中国がチベット文化を「破壊」したと毎日非難しているが、その実彼らが回復したいのは封建農奴制下で享受してきた文化特権なのである。われわれの文化は今日の社会主義新生活を築く各民族の人民が鑑賞するための必要性を満たすもので、少数の西洋人の優越感とチベットの少数旧特権階級が享受するための必要性を満たすものではない。
今日の中国の発展は、チベット文化の発展のためにこれまでにない有利な条件と広い空間を提供した。言語、新聞・雑誌・テレビ・ラジオ放送、建築・美術・写真映像、舞踊・歌曲・服飾などチベット文化のすべての分野で、今まではなかったスタイルや種類が数多く生まれ、どの文化形態も急速に発展し、伝統と現代を融合した方向へと大きく前進している。ほぼ全国的に、写真展や絵画展には、チベット文化を反映し体現した作品が欠かせないものになっている。こうしたことはすべて旧チベットではまったく想像できなかった。
中国チベット文化保護・発展協会は自らの責務としてこの歴史潮流に順応し、チベット文化の発展と、全国ないしは全世界への影響拡大のために、多くのことに取り組んでいく。同時に、チベット文化以外の全国の優秀な文化をもっとチベットに伝え、チベット各民族の人々に理解し受け止めてもらえるよう努力する。
「北京週報日本語版」2011年7月19日 |