実は、「新たな脅威国」はもともと伝統的な脅威国なのである。利益のみを追求する相互依存は新たな帝国主義のポスト殖民の修辞であり、尊厳な原則の相互信頼こそが国際政治における平等な階段なのである。保守派政治家と宣伝機関の姿勢から見ると、日本の新聞は「3・11」について大々的に論じた中で、中国は敵で米国は友だと区別しており、学者は「震災後の政治」論を主張し、実権派は感謝する一方で欺き、「限りなき大きな愛」が国家の理性に遭って多少とも無駄になるのは避けられない。
中国には列強のような外交の伝統はなく、実証された外交関連学術も荒れたものに近いため、国際関係の人情化された「友好的」な想像にふけることになる。権力は外交市場における通貨であり、日本が東アジアの非脅威国になるよう促すには、中国は価値観と国家能力の2つの面において日本から対米に遜色のない尊敬を得なければならない。
日韓関係を鏡にして見ると、最低限度、戦争責任を明確にし、歴史認識を明白にした尊厳ある外交を貫き、日本が「戦後問題」の処理を通して中日関係の平等なメカニズムを構築することを推し進め、その敵視と蔑視の対中外交をめぐる心理的構造を変える必要がある。こうした歴史の和解を前提にしてこそ、米国の冷戦政治により分裂された東アジアに相互信頼の自由と自治が生まれ、不戦の共同体として立ち上がり、共に安全で共に繁栄した民主、平和な東アジアを建設することができるのである。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2011年5月24日 |