劉建平・中国メディア大学国際伝播研究センター副教授
■誤った核政策は宿命ではない
放射能漏れによる壊滅的な恐れが次第に収まるにつれ、日本のエリート層が「戦後最大の危機」を乗り越えようと努力した「震災後の政治」という戦略的思想が活発になってきた。今回の災難は「人智を越えた」ものであり、「人類文明への警告」であると考えられ、1923年の「関東大震災」後の後藤新平のような「救国の異端の人材」がアピールされるようになった。
後藤は帝国時代の「植民地運営」の代表的人物である。帝国の「救世主神話」をもって「戦後」の思想を覆すことで、保守政治を奮い起こすために戦略かつ理論的武器を提供できるのかも知れない。だが、侵略戦争と放射能汚染による被害を受けた東南アジアの隣国にすれば、日本の誤った核政策がもたらした環境災害を「人類」の宿命と普遍化し、帝国の歴史学に基づいて日本を救うのは政治的強者であると想像するのは、事実に合わない。「3・11」地震の後、中国の一部の世論または学者は日本の「釣魚島攻勢」に対し自制を保持し、放射能汚染の排出に対し控えめに対応する「大局配慮論」を主張し、日本の民衆の対中イメージの改善にプラスとなると考えた。これは日本を中心する一方で、中国の主体性を欠いた国際関係を人情化した想像である。中国は確かな歴史研究をもって主体性のある外交思想のリソースを創造し、対内的に主流となる民意を凝集し、対外的に国際関係の議題を設定する際の発言能力のバランスを目指さす必要がある。でなければ、中日関係はますます処理が難しくなるだろう。
■日本は中国を観衆と見なした
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