今回の災害は、津波がもたらした損失が地震よりはるかに大きかった。宮城県北部は海岸と山脈が連綿と数百キロも続き、その間に「一面が海、三面が山」の小さな盆地が数多く点在している。こうした小盆地では沿海部に徐々に主要な町や村が形成され、今回の津波では甚大な被害が出た。記者が訪れた南三陸町や大槌町、女川町、大船渡などがそうだ。特殊な地形と被害の深刻さは、今後の復興に特殊な問題をもたらした。もとの土地に再建できるのか――。
23日に南三陸町の佐藤仁町長を取材した。「宮城県全体でも、南三陸町の防災事業は一、二を争う。町は防災訓練を毎年行っており、町民の防災意識は非常に強い。だが、大自然の威力に人の力が及ばないのも確かだ」。町長によると、1960年のチリ津波の際、水の高さは2メートルを超え、誰もが最大の津波だと感じたという。その後の防災体制と基準はこの津波をもとに制定。だが、今回の津波の威力は前回をはるかに上回り、20メートルを超えた。
もとの土地で復興する場合、今回の津波をもとに新しい基準を制定するとしても、今後の可能な状況に十分対応できるのだろうか。記者の質問に、佐藤町長は、自信はないと率直だ。今回の災難に町長も町民も大きな無力感と喪失感を味わった。しかも高さ20メートルの防波堤を建設するには、巨額の予算が必要になる。
別の土地で復興するにしても問題がある。こうした海辺の町や村の背後には奥深く数十キロの山地が広がっており、利用できる空間は限られる。地元を離れて復興するには、沿海部の山脈より西の場所、内陸部へと移らなければならない。日本の行政下では、土地や予算といった多くの現実的な難しさに直面する。
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