林国本
3月11日午後、NHK 短波ラジオの速報で東日本大震災の発生を知った。最初は微々たる被害で済むのではと思っていたが、衛星テレビの映像で大津波の発生を知り、被害も想定を大いに上回るものとなった。とくに今回の大地震の主な被災地となった宮城県は、私たちもと中国三誌といわれた、日本の読者を対象とするメディアにとっては、曽遊のちであり、日本についての学習の原点でもあり、私たちのジャーナリストとしての人生の出発点となったところであるため、映像を見るたびに心を痛め、ただちに関係者に宮城県日中友好協会にお見舞いのファックスを打つべきだとアドバイスしたが、電話が不通でいまだに連絡がとれていない。
私たちのメディアは、現在は改革の進展でネット版に変わっているが、老、中、青のほとんどのスタッフは、宮城県日中友好協会の配慮で、一年おきに二名ずつ、宮城県を訪れ、日本の企業、農村、漁港、ホームステイなどの学習を経て、仕事の上での基礎づくりをすることができた。私の場合は当時の副社長(のちの社長)に随行したので、ほとんどホテル住まいの旅であったが、他の人たちのほとんどはホームステイなどで、より深く一般の日本人の暮らしぶりを知る機会に恵まれたらしい。
今回、津波の大被害を受けた気仙沼へは、ほとんどの人が訪問しているので、その映像を見て心を痛めている。