1995年以前の旧株券(周誼撮影)
20年の成長の道
上海証券取引所と深圳証券取引所の設立は国際社会に向けて中国が改革開放路線を堅持する決意を示したが、当時中国国内では大きな疑問が投げかけられ、「証券市場の姓は『社』か『資』か」(証券市場は社会主義か資本主義化か)を問う論争を巻き起こした。
北京大学金融・証券研究センターの曹鳳岐主任は中国で最初に証券市場の設立を提起した学者の一人である。「あの時は株式制と証券市場は社会主義なのか、資本主義なのかという問題で論議が起こり、われわれも誤解されてやりきれない思いをした」。曹鳳岐主任は言う。
1992年1月に中国改革開放の総設計師である鄧小平が深圳を視察し、いわゆる「南巡講話」を発表して証券市場の設立を肯定した後、論争はようやく収束した。
現在では、中国にはすでに上海証券取引所と深圳証券取引所のメインボード市場、深圳証券取引所の中小企業ボード、創業ボード市場など多階層の株式市場体系が構築されている。
中国証券市場は1997年のアジア金融危機と2008年の国際金融危機を経験したが、どちらの時も市場の発展に影響するような重大な事態には至らなかった。国際金融危機の発生後、中国証券市場の動きはすでに世界の証券市場の動きに影響を与え始めている。
NYSEユーロネクストグループが発表した2010年上半期グローバル資本市場IPO(新規公開株)および二次発行調達統計報告書によると、今年上半期に世界でIPOが最も活発だった国は中国であった。IPOを行った企業の所在国別統計で見ると、調達額の上位3位は順に中国、米国、日本であった。深圳証券取引所はIPO161銘柄、調達額226億ドルで1位となり、NYSEユーロネクストグループがIPO55銘柄、調達額134億ドルで2位、東京証券取引所が3位、上海証券取引所が4位であった。
|