「共通認識へ戻る」ことこそが協力の基礎
――日本が「論争を棚上げし、共同開発する」という共通認識を否定したことで、両国が1970年代に定めた平和の枠組みが壊されたと見る人がいるが、これについてはどうか。
卓南生:1978年、中国の指導者が提起した「論争を棚上げし、共同開発する」という提案は、中日両国の「共通認識」として公認され、少なくとも「黙認」されたものであった。1996年に入ってから、つまり「日米安保条約」が再定義されてから間もなく、日本政府からこの「共通認識」を認めないという情報が伝わってきた。私は当時これを「ひっそりと否定」と称した。というのは当時日本はこの考えを示したが、ことさらに誇張することはなかったからだ。しかし、今回は思い切ったことに「論争棚上げ」は中国側の一方的な願望に過ぎないと強調するようになった。
1978年の「論争を棚上げし、共同開発する」という「共通認識」の「黙認」から1996年の「ひっそりと否定」、更に現在のように論争棚上げに同意したことはないと明示するに至るまで、日本側の態度が日ましに強硬になっていることは明らかである。これこそが事件を引き起こした原因であり、漁船衝突事件は1つの導火線に過ぎず、今回の事件は決して単純な偶発事件ではなく、日本はこの事件を通じて共通認識を否定する態度を示そうとしているのだ、と私は考える。
――漁船衝突事件以降、中日関係は「最も冷え込んだ状態」にあると見られている。今、悪化した関係の緩和に対し、両国はどんなことができるか。
卓南生:中日両国の経済・文化交流がこれほど活発なのだから、関係は「これ以上悪くなるわけはない」、依存し合っているのだから、互いに傷つけ合うことができるはずがない、という言い方がある。これは明らかに「当て推量にすぎない」言い方だと思う。
現状から見て、中日両国関係の最良の状態は「互恵互利を求め、別の問題を持ち出さない」ことだ。1970年代に認めた「共通認識」に立ち返ることができるならば、両国は戦略パートナーシップの起点に戻ることができると思う。しかし、「共通認識」に戻るのは、そう簡単ではないようだ。日本はすでに釣魚島問題を教科書に書き込むことを決め、内閣も「共通認識」を否定する正式な文書を公表した。こうして、中国政府も非常に受動的な立場に立たされた。
今、一部の日本の過激な保守派は「甲午戦争(日清戦争)の時代に戻った」という論調を大げさに言い立て、故意に中日関係をより危険な状態に持っていこうとしているように見える。これらはいずれも緊張した空気を作り、中国がどこまで耐えられるかを探ることを目的としている。中日両国が漁船衝突事件以降の暗い影から抜け出せるかどうかは、明らかに両国指導者のより大きな決意と優れた知恵にかかっている。(ソース 日本新華僑報ネット)
「北京週報日本語版」2010年12月3日 |